ブラッスリーハルナ

2015 年 6 月 10 日

フランス料理というものは結婚式場でしか食べたことありませんでした。

それが親戚にフランス料理店が出来たものですから、今年になって

何度となく、フランス料理を堪能しております。

トマト味のジュレにますの卵とウニと香草野菜。

中のこげ茶の物は豚の血を焼いたものです。

とても美味いと思ってしまいました。

豚の血です。間違いなく一線を越えてしまった。

とどめはザリガニです。これも生まれて初めて食べました。

小学校時代のおっかなびっくりのザリガニに初めて勝った気がした。

車谷長吉さん 逝く

2015 年 5 月 21 日

8年前にイニュニックで初めて車谷さんの本を作らせてもらいました。

非売品の私家版です。装丁、装画、車谷さんです。100冊だけ作成しました。

名前は存じ上げてはいたけど本を読んだことはありませんでした。

その時、ざっと目を通しただけでしたが、強烈な内容でした。

こんなことまで書く人なんだというのがその時の印象です。

その時気にはなったのですが、時間の余裕がなく、次に車谷さんと

向き合うのは新書館から出た3冊の全集でした。

酒も飲まないでひと月ほど延々と読んでいましたね。露悪家、偏執狂。

劣等感、独善性、嫉妬心、虚栄心、ハッタリヤ、へタレ。弱さと悪と

悲しみがこれでもかと云わんばかりに詰め込まれていました。

でもそれを読んでいると気持ちが晴れるのです。

「現代の眼」の編集部にいた。池袋西武で本の編纂をされていた。

姫路のご出身。色んな意味で思い入れを深くした人でした。

そして、最後にノドに何かを詰まらせて死んじゃった。長吉さんらしい。

私の母も特養でノドにパンを詰まらせて死にました。

この本は印刷屋の見本として持っているものです。

カバーは緑の和紙で赤金箔と黒箔。紙の耳は

くれぐれも切らない様にと云うお達しでした。

東京新聞の夕刊に井口さんの追悼文が載っておりました。

「二人の女」はどうも最後の私小説として出版しようとして

いた本のようです。私も全集を読んだ後でちゃんと読み直して

感じたことは、あまりにも書きすぎている、これは世には

出せないだろうと。「私小説作家廃業」となったとても貴重な

本のようです。だから、うちに廻ってきたのでした。そう云われれば

これは爆弾のような本です。とんでもない話が暴露されています。

東京新聞「アートな本」

2015 年 5 月 18 日

東京新聞日曜版の書評欄、「アートな本」で林さんの

「東海道中床屋ぞめき」が紹介されていました。

床屋さんは美容室に駆逐され、我々印刷屋と同じ衰退産業に

なろうとしていますが、ところがどっこい床屋には床屋の独特の

味わいと仕事があります。美容室は見た目をただ綺麗に美容する

だけですが、床屋は床に上がるための準備をしてくれるところです。

そういった意味で相撲取りの髪を結うのを床山と云います。

さて一般的には床とは「床上手」などと閨のことを言いますが、

広義には1段高いところでハレっぽい所の事を云います。

普段、美容室に行く私が、前回床屋に入ったのは、父の葬儀の

朝でした。ずいぶん昔に離れた故郷とはいえ、やはりどこかに

このような時は、床屋だろうと体に染みついた癖が働いたのかも

しれません。林さんとのお話でも全体的にキャバレーの様な

ディスコのミラーボールの様なキラキラした感じで行きましょうと

纏まりました。床屋の生業などを考えながら一枚一枚見ていくと

そこの主の性癖などが見えてくるようです。

B.Bキング 逝く

2015 年 5 月 16 日

B.Bキングが亡くなった。3月か4月にWOWOWでライブ観た

ばかりでした。「The Jungle」世紀の名盤です。

沖縄

2015 年 5 月 12 日

今年に入って本屋さんで見つけて即購入の2冊。

石川竜一さんの「絶景のポリフォニー」「オキナワポートレート」

イニュニックにおいでの写真家の方々の何人かは、今年の

木村伊兵衛賞を期待されておられましたが、見事に持って行かれて

しまいました。力強い写真です。沖縄の荒みが見事に写し出されています。

カメラは八ッセルブラッド、デジタル。正面からどーんと映しています。

2年前結婚式で沖縄に行きました。一番の楽しみは美ら海

水族館であの巨大なジンベイザメを見る事でした。

スケジュールの都合でその前にひめゆりの塔に行きました。

みんな凛々しくも可憐な娘さんたちでした。南国特有の黒目がちの

瞳が輝いていました。高速に乗って100キロ離れた水族館に

向かいました。レンタカーのプリウスのアクセルをベタ踏みすると

180キロ出ました。隣でかみさん何も言いませんでした。

水族館の駐車場にある車はほとんど「わナンバー」と「Yナンバー」

でした。「わナンバー」はレンタカーです。「Yナンバー」は米軍関係

です。割合は6:4ぐらいでYナンバーが多いです。YナンバーのYは

横須賀のYだそうです。中は賑やかな米軍の家族ばかりでした。

「ダディ、マミィー」子どもたちが走り回っています。

10分ぐらいで出てしまいました。

日本の陸軍は県別に編成されますが、沖縄県だけは無くて

他の県に割り振られました。信用されなかったのでしょう。

アメリカが沖縄周辺に集結を始めた時、対抗するために派遣されて

きたのは、山西省に展開していた部隊でした。山西省は石炭の鉱山が

沢山あったせいで、共産軍との戦いが熾烈を極めたところで、48年

ぐらいまで日本軍は闘っていました。沖縄の人にとってアメリカより

怖かったのは、山西省から来た部隊かも知れません。

父の部隊は福建省で米軍の上陸に備えていました。中国に

上がってこないで沖縄を捕りに行った。そのおかげで私は、

今ここに居ます。

上へ