鬼海弘雄 二つのペルソナ
2019 年 5 月 30 日先月出た「ペルソナ最終章」と15年前の「ペルソナ」
地続きの様で繋がっていない二つのペルソナ。だと私は思います。
しかしこの断層は、何に在るのでしょうか?
先月出た「ペルソナ最終章」と15年前の「ペルソナ」
地続きの様で繋がっていない二つのペルソナ。だと私は思います。
しかしこの断層は、何に在るのでしょうか?
来月荻窪titleさんで、始まる「庭とエスキース展」のブックレット写真
集の印刷の立ち会いでおいで頂きました。一日目はみすず書房の方にもお
いで頂き色々なお話をお聞きしました。印刷はデータの段階で殆んど創っ
てしまったので割と簡単でした。b7ナチュラルの黄色と赤がどれぐらい
浮いてくるかが、少し心配でしたが、弁造さんの酒やけの顔にはとても合
っている感じでした。ご飯を一緒に食べて色々な話を聞きました。みすず
書房さんと奥山さんを繋げたのは鬼海弘雄さんです。そういえば「インデ
ィア」は、みすず書房だったでしょうか?鬼海さん、「弁造」を見てから
毎日、朝早くに奥山さんに電話をくれるそうです。色んな事をお話しされ
るそうです。奥山さんを勝手に弟子にしているみたいですね。羨ましいで
すね。アプローチは違いますがお二人は同じことをされて居る様に思いま
す。奥山さんにも云いましたが、私にとって一番重要な写真集は「ペルソ
ナ」です。ストーカーの様に鬼海さんの事を見ています。その鬼海さんが
惚れこんで居る奥山さんが気にならない筈はありません。この感覚の共時
性の様な繋がりながら広がって行く事の不思議さを今感じています。
アルル国際写真祭で高木さんの「マロニエ」が入選しました。
この本は去年、パリフォトに合わせて売り込みのために少部数作った
物です。いよいよ、出版に向けて漕ぎ出せそうです。
昨日、イニュ日記で書いた「葬儀の写真」は、この本を意識して撮った
写真です。写されない事、消えていく瞬間、敢えて残す行為。
【アブナイ、あぶない、危ない写真」kotobaの秋号。去年買ってパ
ラパラと捲って理解したような気になってほっぽいていたのを昨日
じっくり読み直しました。それで思い出した事。
10日前妹の義母が無くなって告別式に参列したと云うのは書いた
と思いましたが、そこで私は在る事をしました。結婚式のカメラマ
ンよろしく、ずっと葬式のあらゆる場面の写真を撮りました。お坊
さんのお経の間は控えましたが。カメラは姪の夫のC君のです。C君
は、喪服の首に愛機のソニーのカメラをぶら下げてやって来ました。
次期社長でも有り、3年間お婆さんとの関係もしっかり造っていた
ようでしたので、C君が葬式の写真をバシャバシャ撮るのは少しまず
いだろうと慮っての事でした。私も平気で在った訳ではありませんで
したが、家族親族よりは熱は低かった。1月と5月にしっかりお別れ
の挨拶はさせて貰ったと思っていました。C君は異郷の文化の違う処で
仏教の葬式はある意味でとても興味のある行事だったと思います。写
真論なども少し前に話していました。日本においては葬儀で写真を撮
る人はいませんね。タブーですね。ですから、葬儀の写真と云うのは
殆んど無いです。私自身、母の時も父の時も写真を撮るという事さえ
考えもしませんでした。でも今回写していて思ったのですが、みんな
の泣き顔が美しいのでした。出棺の前の遺体の棺桶の中に花を入れて
それぞれ別れの挨拶をする姿、悲しみは一気に燃え上がり、その顔は
くしゃくしゃになっているのにも拘らず、何と云う美しさなんだろう
と思いました。良い葬儀だったのです。孫の姪がおばあちゃんに手紙
を書いてそれを読み始めた時ぐらいから、そこら中でハンカチを手に
する人たちが出始めて、改めて故人の人徳が偲ばれ、昔の思い出が甦
って来たのでしょう?泣き声の激しい処に寄って行ってバシャバシャ
シャッター切る私は、えげつないお調子もんです。実際「あの人は、
何なの?」と云う難詰も私の知らない処で出たと云います。
でも撮りながら、私が悪者になってもこの今は絶対価値のあるものに
なる筈だと確信していました。良い写真は撮れたと思いますが、私は
多分「アブナイ人」と云うレッテルを貼られた様な気がします。
どこの子どももみんな美しい。
型に収まり始めた途端、輝きを失っていく。