倅・三島由紀夫
2025 年 11 月 21 日だいぶ前に読んでいたのですが、その後徴兵制度についていろいろと
読み漁っていました。菊池邦作「徴兵忌避の研究」彦坂諦「人はどの
ようにして兵となるのか」このあたりを読み進めているうちに益田肇
「人びとの社会戦争」に捕まってしまい今は、この本に夢中になって
います。年表見たところで何も分からない。歴史は、庶民の生活の中
で造られるんだと思います。「人びとの社会戦争」は、名著だと思い
ます。菊池邦作さんの徴兵忌避も良い本です。小林多喜二と同じころ拷
問を受けていたけど、生き永らえた。明治6年の徴兵制開始からの世の
中の事や世相、騒動等、公文書などに頼りながらしっかり理詰めで書い
ておられる。明治維新の薩長土肥の中心メンバーは、農民や平民だった。
新しい世の中になると期待して徳川幕府と戦ったのに江戸時代とあまり
変わらぬ社会体制で攘夷と言っていたのにお偉いさん方は、洋服来て断
髪してシャッポ被って西洋人と楽し気に暮らしている。明治の初めの10
年は打ちこわしや米騒動など一揆じみた騒動が何百回も起こっていた。
その中心メンバーが田畑を持てない農家の次男坊三男坊だった。その者達を
徴兵して軍隊を作った。徴兵制度を作ったせいで庶民の反発はより強くなり
徴兵逃れという考えが根付いていく。夏目漱石の名前が出てきました。
北海道・沖縄の人は徴兵されなかったので本籍を北海道に移した。
学校の先生は徴兵免除だったので先生になった。朝日新聞の入社は、40歳
なのでこれは逃れと云うわけではないように思います。新聞社からの兵隊と
云うのはあまり聞いたことがない。夏目の話をChatGPTに訊いていたら変な
誤魔化しかたをした。25歳の本籍移籍と留学経験の話を一緒にし始めて
留学者は兵役免除されると云う様な事を云い始めた。留学したのは、
33歳から35歳のころです。徴兵の自己申告書の項目は1.本籍 2.
現住所 3.族称(士族、軍属、官族、平民)4.続柄 5.生年月日
6.職業 7.特技 8.最終学歴 徴兵年齢は、明治の初めは、17
歳から40歳、1943年に17歳から45歳に改められ1945年6月
に15歳から60歳に変更される。役人、学校の先生は、徴兵免除。三島
由紀夫は、大正14年1月14日生まれ。大正天皇は12月25日に
亡くなったので昭和元年は1週間しかありませんでした。翌年元旦は昭和
2年から始まります。四谷永住町の自宅で。生まれた時のたらいの云々は
創作です。祖父は内務省官僚。父も内務省官僚。祖母は武家。母は加賀藩
のやはり武家出身。徴兵業務は陸軍省と海軍省が兵役法の所管省庁ではあ
るが、兵事事務の全体は内務省が管轄です。本籍地は兵庫県志方。本籍地
の役所が徴兵検査の現場。「倅・三島由紀夫」は自決の翌年に出版されて
います。一気呵成に書いたように見受けられます。後ろの解説に「いやは
や、とんでもないおやじがいたもんだ」と書かれているけど、そうです
その通りです。とんでもないバカ調子で書かれている。私の読了後は、
このおやじにしてあの息子かというモノでしたが、冷静に考えたらそんな
単純なモノでは無い。徴兵現場に父親も付いて行っています。「乙種合格」
(不合格)という言葉を聞いたら息子と二人手をつないで高砂駅まで何百
メートルも笑い転げながら走ったと書いています。熱があるのに。20歳
そこそこの年は世間一般のやり方のように様々な方法で兵隊にとられない
方法を考えます。それが年取って日本社会の中でものを喋る地位になった
時、若気の至りの棘がチクチク痛み出す。三島の年の兵役義務は45歳で
した。豊饒の海の脱稿は出来たら秋にしたい。年を越したら46歳になっ
てしまう。ギリギリ11月25日を選んだのはそのような思惑なのかもし
れません。そこまで読んだ上でのお父さんの出版だったとしたら・・・・。
三島はちゃんと筋は通した。親父も泥を被って償いをした。
表紙のイラストが意味ありげです。