大正時代の小学生の図工
2025 年 9 月 9 日
大江戸骨董市で見つけたもの。手書きです。大正時代の小学生のもの。
小学校の図工室から出てきたものです。テレビもスマフォも無ければ
時間だけはたっぷりあります。相当レベルが高かったので優秀作として
保管していたのだと思います。私も12・3歳のころは、赤塚不二夫に
ハマっていて、キャラクターはスンプ違わず書けていましたが、所詮
物まねです。
大江戸骨董市で見つけたもの。手書きです。大正時代の小学生のもの。
小学校の図工室から出てきたものです。テレビもスマフォも無ければ
時間だけはたっぷりあります。相当レベルが高かったので優秀作として
保管していたのだと思います。私も12・3歳のころは、赤塚不二夫に
ハマっていて、キャラクターはスンプ違わず書けていましたが、所詮
物まねです。
栗本さんが新聞に出ていた。この前作った「記憶の旗を立てる」を
持って写真に写っていた。人の日記を読むのは好きです。確かな
その人の「生きる」がある。イニュニックと言う社名はイヌイットの
「生命」とか「いのち」という意味で動詞形が「生きる」になります。
来年から個人向けのオリジナルノートを販売する予定です。スケジュ
ール帳であり、ダイアリーであり、自分史であり、エンディングノート。
B5 上製本 丸背 糸かがり、500ページ、10年日記。
テンプレートにバースデー、結婚記念日などオープンにできる情報を
書き込むこともできます。
かって秋葉原には不忍池と幻のお玉ケ池を結ぶ川が流れていて、その周囲
には淋しい沼地が点在し、そこには寒さと湿気が立ち込めていた。
江戸時代の神田川治水工事が完了し、明治期になると原っぱだったこの土
地に鉄道の駅が計画される。これに伴いそれまで火災や争い事からの鎮護
で祭られてきた秋葉の杜がこの広原から遷座すると、その名前だけを残し
た貨物駅が建設され「秋葉原」の地名がこの地に根付いた。やがて戦後の
焼け野原から闇市を経て秋葉原は電気街と呼ばれるようになり、次第に利
益と化学がこの土地を支配するようになる。そして秋葉原は人間の更なる
欲望を刺激する街へと変貌し、古くからの迷信などは完全に排除された。
だが、その煌びやかな街の光が強まれば見えないはずの影も濃くなる。
AIやバーチャル技術が虚像を広め、過剰に興奮を煽る商品やコンテンツが
溢れた今の時代、この街を彷徨いながらどこか「幸せとはこんな世界か」
と感じることはないだろうか。行き過ぎた消費社会の中で人々が人生の豊
かさを見失った時、その群衆の足元には小さな亀裂が生じ、そこからこの
街がかって沼地であった頃の寒さと湿気が漂い始める。生ある者を支える
真実は、目に見える物だけではない。しかし、今ここに集う人々の霊的な
モノに対する尊大さ故だろうか。その小さな亀裂の裂け目から淋しさに怯
えたゴーストが、現代の作られた夢を求めてこの街への扉を開こうとして
いるのだ。 イニュブック販売
ガロという本は、漫画を描く技術がなくてもコンセプトが斬新であれば
発表できる媒体だった。それでも一線を画して登場してきたのがテリーさん
だった。続いてえびすさん、根本さん、しりあがり、ミウラさん、ナベゾ
だった。コミックのパンクなのであります。8月8日発売。
1980年6月 テクノがあって、パンクになって、そして表現の境界が
崩れ始めていく記念碑的な名著。近々続編が刊行予定です。