「DIARY」 MASAYUKI FURUKAWA

2022 年 8 月 29 日 月曜日

古川正之さんの写真集「DIARY」をお納めしました。表紙は凝っていて

布クロス「T細布の白」にカラー印刷です。UVプリントで印刷しました。

本文は「b7トラネクスト」光の表現がとても美しい写真家の方です。柔ら

かで優しい日々を丁寧に写し撮られています。写真集になり、通して順番に

みた時に温かい日差しにいきなり照らされた様な気持ちになりました。

5冊だけ特装本が有ります。小口も表紙の色に合わせたレインボーカラーに

なっています。タイトルは、表紙の裏表と背にクリア箔で目立たない様に押

されています。

発行所は、「HILLDROP PRESS」  

 www.hilldroppress.com

世界は五反田から始まった 星野博美

2022 年 8 月 28 日 日曜日

我が家の冗談は「世界はヤマヅミから始まった。」であります。イザナギ

とイザナミの最初の子供は、大山祇ノ命(オオヤマヅミのみこと)、天照

大神の兄とされています。戦いの神様で愛媛の大三島神社が総本社。山住

神社は分社とされていて、大本は浜松水窪の山住神社から出ているようで

す。ここは信州縄文との結界とされているところ。全国山住神社は、どこ

もしょぼいのです。京都のは、山に対して鳥居があるだけです。それでも

空威張りの時はこれが出るのです。誰でも生まれ落ちた時にその人の世界

は始まります。星野さんの家の稼業「星野製作所」と一族の来歴と歩んだ

場所の変遷の話。そして東京大空襲の記録と気憶。五反田は下町の工場が

沢山あったところです。3月10日が下町が燃やし尽くされた日、目黒、

品川は、5月24日、25日。山手線1週歩きをやった4月。目黒から南

の景色が大きなマンション群に代わっていき、昔大きな工場が在った事を

物語っていました。大崎から品川の間は大きな空き地が残ったままでした。

「いつかここが焼け野原になったら、何が何でも戻ってきて、杭を打と

う。」戦前と戦後でその土地の持ち主が大きく変わったのです。戦後GH

Q(CIA)は、戦後の統治を巧妙に仕掛けていたのですね。持ち主が居

なくなった土地を競売にかけるのですが、外国人優先だった。民間の軍国

主義者の分断も行われていた。公職追放にもそれが在ったようですが、上

手くいかず、結局復帰となりました。民族主義者や軍国主義者を嫌いなが

ら民族主義を利用すると云うのは自らの宗教や属性に囚われ過ぎて居るこ

との証左に他ならない。国家とは、風土であり大地である。と、アナーキ

ストが宣う。「太陽」の前にまず「山」ですからね。

イニュニックがある板橋の会社の最寄り駅が東武東上線の「大山駅」です。

神奈川県伊勢原市の大山にある「大山阿夫利神社」の神様が大山祇ノ命。


憎めば憎まれる、愛せば愛される。

2022 年 8 月 15 日 月曜日

戦争を憎んでも戦争は無くならない。

戦争の動機は相手を憎む気持ちだから。

憎しみをあおる言葉は、戦争に近づきこそすれ、

遠ざけることになりません。

相手を理解する姿勢、そうせざる得ない気持ちに寄り添い、

解決策を一緒に話し合う事、相手を思いやる気持ちを

持ち続ける事だけが、戦争を遠ざける。

わが生涯のすべて マリオ・ジャコメッリ

2022 年 8 月 10 日 水曜日


亡くなる2か月前の姪御さんのインタビュー。9才で父親を失くして

母は、ホスピスの洗濯婦として家族を支えます。13才で印刷屋の見

習いとなり母と一緒に家族を支えます。趣味は絵を描く事、詩を読む事。

28歳のクリスマスにカメラを買って翌日、浜辺に行って打ち寄せる波を

カメラで撮って「上陸」、写真家になる。この人の足跡をたどると、日本

語の写真と云うのは随分違う物に感じられます。フォトグラファーと云う

よりこの方は、画家であり詩人です。ホスピスは、母の仕事場でしたし、

少年の頃出入りしていた処です。ある家族との諍いでここを追われる事に

なります。神学校の生徒を撮った写真も葉巻や煙草を渡したせいで追放さ

れます。農夫一家にお金を渡してモデルになって貰っています。三脚立て

てしっかり構図を決めて、あらゆる陰翳を決めてシャッターを押します。

しかしそれらの事が判ったからと云って作品の秘密が暴かれた訳でも何で

もない。詩は詩です。画であり、生きている傷跡であり、虚無です。

母親と同じことをやって来たのだと思いました。母はシーツを白く洗い

ジャコメッリは、プリントを白く洗い続けた。死を恐れ続けたとは思わ

なかった。あそこが帰る場所だった様に思いました。印刷屋と云うのは

何故か吸い取られる感じがするのです。機械が動くそばでじっとその回

転を見ているとドンドン自分が消えて行く感じがします。職業病?

古関敏彦さんの桃

2022 年 8 月 6 日 土曜日

中野薬師寺の「味のマチダヤ」には、月に一回、酒を買いに行きます。

最近はワインとウイスキーが多い。もう40年近く通い続けています。

社長の木村さんは、いつも気持ちよく迎えてくれて、かみさんが居る時

に限って何かと気遣いをしてくれます。今回は古関さんから貰った桃を

おすそ分けしていただきました。木村さんが「古関さん、古関さん」と

云われるのでどなたですかと尋ねると。山形の酒蔵を全国一位にした人

だと教えてくれました。古関敏彦さん。「山形県工業技術センター」山

形県職員。山形酒造組合、山形県産酒スーパーバイザー。十四代の高木

さんに酒づくりのヒントを教えた人です。1994年ここから14代の

快進撃が始まります。秋田の新政酒造の現社長も古関さんに教えを乞う

た人。山形や秋田の酒蔵に惜しみなくノウハウを教えた人なのです。凄

い人なのですね。今は、世界に出ていくために淡麗旨口を目指している

そうです。くどき、十四代、新政、今でこそちゃんとした酒造会社です

が今から30年前は美酒爛漫に桶売りをしていた小さな酒蔵でした。

日本酒と云えば灘、伏見、などの大手酒造メーカーが全国を席捲して

いました。その周りの500石ぐらいの酒蔵は桶でそのまま買って貰い

大手酒造メーカーは、いろいろな酒蔵の原酒を混ぜ合わせ、醸造アルコ

ールを添加して瓶詰めをして売ると云うのが一般的だったのです。古関

さんは、その潮流を何とか変えたい、だってその原酒は大手酒造メーカ

ーの酒より、遥かに美味しいのですから。しかし、それより前に500

石の酒蔵の原酒の美味しさを求めて全国の酒蔵を訪ね歩いた酒屋の店主

が居ました。「味のマチダヤ」の先代の社長です。味のマチダヤさんが

基本的に全国の地酒ブームを作った酒屋さんなんです。ここは良いですよ。

日本酒だけではなく焼酎、ウイスキー、ワイン、安くて美味しいのが揃って

いる。無名の処で安くて美味いと言うものを全社一丸で探している。この

姿勢が好き。木村さんが私に新しい酒を進める時必ず云うのが「ここの若

い杜氏、すごく頑張っているのよ。」と云うセリフ。酒に対する愛があふ

れています。

アイラ島の秘密の酒蔵、ピートの効きすぎ。2600円。

ラフロイグかラガブーリンの失敗作では無いかと云われています。

しかし味の濃厚さは5・6千円の酒とは比較にならないです。


淡麗旨口で飽きが来ない酒。これぞ、ワインと勝負できる酒です。

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