もう一つの抑留 藤野達善
2019 年 8 月 24 日 土曜日シベリア抑留は、日本が提案した事であったという事実、結構衝撃的な
事が書いてあります。ソ連の崩壊により出て来たスターリンの文書の様
です。終戦の年2月の段階で敗戦は決定的な事実として、降伏の話は成
されました。3月10日の翌日にも成されました。5月のドイツの降伏
の時にも6月の沖縄の時もそして7月、アメリカ、イギリス、中国が日
本の戦後処理を話し始めたときも、ずっと日本が考えていたのは、天皇
を中心とする国家体制を維持する方法でした。共産主義のソ連が強硬に
日本の戦争責任を追及するのは目に見えていました。そこで大本営は、
旧満州、朝鮮半島の民間人、軍人180万人をソ連に差し出すという
提案を考えました。戦後のソ連復旧に向けて日本人を使って国土を立
て直して欲しいという提案です。その代わり天皇制維持を認める様に
アメリカ、イギリスを懐柔してほしいと云う事でした。近衛文麿の親
書としてソ連に送られます。戦後すぐにスターリンはその様な事をす
る気はないと言明していましたが、戦後日本に上陸したアメリカ軍は
即座に、中国本土にも人員を派遣しました。次は対共産主義との戦い
です。10月には、米軍トラックなどが上海に集めれます。しかし、
11月、突然武装解除となったそうです。日本の疲弊を見てアメリカ
軍は、無理だと判断したのでしょう。しかし、それらの動きをソ連は
見ていました。8月23日、突如として前言を翻して軍人のみ60万
人をソ連領土にさらっていきました。同時にドイツ軍人200万人も
ソ連各地で土木、建設で酷使されました。アメリカの属国となる事で
戦前の大本営、国家体制は続けられる事になりました。現在の国家体
制は、基本的に戦前のままです。意識も変わっていません。しかし、
究めて民主的な国家運営が成されているように感じます。強権的な事
を云う感じが出て来たのは、日本の国力が落ちて化粧が剥れ始めて地
金が出て来たからです。民主的で人権が守られている国民でいられる
のは、偏に今の日本国憲法が我々を守ってくれているからです。