さいきあまべたべる通信 霜降り鯵

2019 年 4 月 24 日 水曜日

戦時中、別府の鉄輪に疎開したり大分の杵築を頼ったり宮崎の日向の親

せきを頼ったり、九州の裏側を色々と動いて当時を忍んでいた話の中で

良く出てくるのは、やはり魚の話ですね。伊勢海老などは動きも遅いの

で簡単に捕れるみたいで小学生がおやつ代わりに食べていたと云います。

交通事情と冷蔵設備が出来るまでは、そんな時代が長く続いたと云いま

す。やまろ渡邊さんは、110年前から干物一筋で来たようです。佐伯

ならではの工夫ですね。養殖と加工は漁業の未来形だと思っています。

築地と豊洲にとんと足が向かなくなったのは、不便そうと云うのもあり

ますが、正しい食の有り方を考えるとこのような物を基本に考えなくて

はいけないと思っています。やまろさんの鯵が養殖だとは書いてはいま

せん。

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