声なき人々の戦後史 鎌田慧

2018 年 2 月 12 日 月曜日

年末の今年のベスト3冊と云うのはどの新聞の書評欄でもやっています。

一月は、前の年の評判になったものを読んでいます。東京新聞では

3人が取り上げていました。

母は宇部の工場でアスベスト吹き付けを半年ほどやったそうです。

それで肺を患い晩年ヘルペスから、認知症になりました。

父も製鉄所の溶鉱炉の建設現場にアンコの派遣業などをやって

いました。私も少し手伝ったけど、嫌になって辞めました。父と喧嘩

した時に「あんたがやっているのはただのピンハネ業やないか」と

云うたことがあります。私の言葉でそれから少しして廃業しました。

あのままやっていたら原発工事もやっていたと思います。

創業してからたった5年ぐらいの会社でしたが佐渡沖の油田開発や

インドネシアの油田開発の工事に指名が掛かる位でしたが、私の

言葉にぐらぐら来たようです。鎌田さんが見てきたような現場は割と

見てきた方です。構造もしっかり教わってきました。だからなのか東京に

出て来ても声なき人々の現場を見続けてきました。底辺の人々は、いろ

んな形で利用されます。今は声を発する道具をあらゆる人々が持つように

なりました。だけど声がまとまらないので力に成っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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