人間の値打ち 土地の値打ち

2016 年 11 月 11 日 金曜日

先週、渋谷のbunkamuraシネマでイタリア映画、「人間の値打ち」を

観ました。ミラノ郊外コモ湖のほとり、ひき逃げ事故をきっかけにして、

高級住宅地に上流、中流、下流を配しそれぞれの思惑を交錯させながら

繰り広げられる人間劇場。あまりにもなまなましさに嫌悪感を抱くほどの

演技力。サスペンスは常に人の本質を露わにします。

最後の最後に見せられた値打ちの多寡が少し鼻じらむ所は在るものの

まぁまぁ面白い映画でありました。

それから、この1週間なんとなく、「人間の値打ち」なるものを考えておりました。

深い徳や崇高な使命、勇気のある行動、静かな公徳心。または、学歴や家柄、

容姿を基準に考える人たちもいる。人の値打ちを量る基準はいくらでもあります。

今年神奈川県では、老人や障害者にその様な事を問う事件が頻発しました。

その時々で値打ちのある行為そのものはありますが、良いことやったり

愚かなことやったり、汚い事をやってその反省からまた、誉められる様なことを

やる。その時その時の集積がその人間です。ある人にとったら存在だけで有り

難い人もいます。この人間の値打ちなる問いかけはどこから出てきたのでしょうか?

昨日、ドナルド・トランプが次期アメリカ大統領になることが決まりました。

トランプとヒラリーの戦いは、ナショナリズムとグローバリズム戦いでした。地域主義と

汎地球主義。グローバリズムは最初多国籍企業が始めたものでしたが、インターネットと

人工知能が強力にグローバリズムを推し進めてしまいました。各国で台頭してきている

ナショナリズムが目の敵にする移民は、意外とグローバリストが言い募っているだけかも

知れません。今起きている事の本質は、移民ではありません。移民は自国の惨状と

先進国の豊かな生活をインターネットで見る事によって移り住もうとしているだけで、

それは自然な事。物が売れないのは、仕事先が無いのは、パソコンやインターネットが

人の能力を超えてしまい、地域の特性を越えてしまったからです。エクセル一台で

女子事務員が一人要らなくなり、ネット販売で女子販売員が、何人も要らなくなります。

銀座の一等地でモノを売っていても人はネット販売でしか物を買いません。価値を

価格でしか見なくなったら安いところでしか買いませんし、労働を量でしか見なく

なったら、ロボットには負けます。スマフォによってSNSの繋がりがより簡単になると

その社会性に価値を見出すようになり、具体的な物に対する興味は無くなります。

しかし、SNSの社会性と云ってもほとんどそれは、一方通行です。去年秋から私も

アイフォン持っています。ちょうど一年。使い熟せて居ないです。何故かためらう

ところがあります。人工知能、AI、ネット、SNS、それらが作り上げた世界が明らかに

壁にぶつかったのでは、無いでしょうか?それぞれ各国の基幹部分を司る人たちは

汎地球主義の支配層のメンバーになるために前のめりですが、(侍、役所意識が高い

日本は特にその傾向が強い)そうとばかり考えない人たちもいます。

実際グローバリストとその手先たちは、今はさほど収益を上げていない。

安い人件費を求めて工場を動かし続ける事が儲かる事だと思えない。租税回避で

国に税金を払わないで、派遣やロボットばかり使う会社の製品が黙って買ってくれる

消費者に支えられるとも思えない。パナマ文書に出てくるような会社の商品は、

何一つ買いたくない。モノが売れないんじゃない、地域から離れた会社の物を買いたく

無いというのが実情のような気がします。

テレビや新聞はAI,AIと一生懸命夢の未来をもてはやします。でも私たちの幸せは、

この身体と五感と感情の中にしかありません。五感を通した人の結びつきとその

風土から離れて感じることが出来る幸せはほんの軽微なものだけです。

トランプが何をするかはまだわかりません。政治家の選挙前に云う事と選挙後に

やることが全く違うのは、どこの国でも大して変わりません。

ローカリズムは地域を活性化します。米軍が出ていけば自衛隊は強くなる。

それは良いことでもあり悪い事でもある。でもまずこの占領状態をなくさないと

どっちにも行けません。

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