昭和のあれこれ

2015 年 12 月 10 日 木曜日

九州のおばさんが亡くなったそうで、98歳の大往生。

先日の日曜日、御供えの線香を求めて浅草通りにある五雲堂に行きました。

そこで教えて貰ったのが、元浅草2丁目、浅草通りから2本ぐらい入った

所には、あの3月の戦災を免れて、焼けずに残った場所があるという事でした。

それらしき建物を写したのが下の写真です。

ほとんど新しいものに建て替えられており、これらのものが戦前のものか

どうかは疑わしいですが、なんとなくそうではないかと思われます。

屋台のラーメン屋かおでんの飲み屋?

ここから、ぶらぶら御徒町まで歩いて、蓬莱屋のとんかつ。

ここは大正から続くヒレカツ専門店。小津安二郎監督がひいきに

していた処で、原さんが亡くなって、なんとなく来てしまいました。

割と混んでた。「アンニョンハセヨ」と韓国からの若者たちも来るところを

見ると、そのような情報もグローバルに知れ渡っているという事でしょうか?

SNS的な発信力と云うのはそのような通受けのステージまで来ていると

いう事でしょうか?少し驚いております。

まあ、普通に観光で来て、普通の有名店に入っただけかもしれません。

そんなこんなを肉が揚がっていく音を聴きながらうだうだ考えておりました。

しかし第一、本来私は、小津安二郎の映画が嫌いなんです。

原節子もバタくさくてさほど好きではない。世界中が評価する最高の

映画監督と云うのに、何故か生理的な嫌悪感を感じる、そのくせ、

とんかつは食いに来るのです。東京観光に来た友人たちを「ほらココが

小津安二郎が贔屓にしていたとんかつ屋だよ」と案内するのです。

ま、訳判らないのが人間です。そして、今日野坂が死にました。

今年の前半は、珍しく「週刊金曜日」を読んでいて野坂さんの

文章を目にしていました。生きているんだなと思っていたのです。

今日は「骨餓身峠死人葛」でも買って帰ります。

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