母の実家の跡取りが弟の源平さんでした。
小さいころからその名は月に何度でも母の口から発せられ、
父も何か塞いだ物言いで受け答えをするのです。
げんぺさんの名は、私の中に何か甘酸っぱい甘美な存在として
記憶の底に溜まっていったのでした。
げんぺさんと同じ大分で育ち15歳まで寝小便していた赤瀬川原平さん。
機会が無くて行けなかったけど、ほんとに「美学校」で学びたかった。
でもゆるいヌケカタと特異な視点、飄々とした佇まいは私の先生でした。
そういえば、げんぺさんの七回忌は、連絡無かったなと今思い出しました。