アブラ蝉

2013 年 8 月 8 日 木曜日

アスファルトの上で天に向かって手足を震わせていた

虫の息のアブラ蝉。指を持っていくと必死にしがみ付いて

来ました。せめて涼しい所でと事務所に運んでいると

指先に鋭い痛み。間違えて口吻を差し込んでいるようです。

この強烈な痛みの中に私と蝉との命の交感が轟いた。

蝉君からの贈り物、命のバトンです。

・・・・・・・・・・・熱があるみたいです。

ここまで書いて、アップしようとしたところで、詩人の

清水さんの手紙が到着。

「つくつくおーしであふれんばかりの八丈です。八丈はセミは

つくつくおーししかいないのです。」と手紙の書き出し。

全ては繋がり、あらゆるものが交歓している。

塩飽水夫

2013 年 8 月 7 日 水曜日

今度の帰省では塩飽諸島に行ってみようかと考えております。

塩飽諸島とは岡山と香川に挟まれて瀬戸内に点在する島々。

瀬戸大橋が橋脚を伸ばしていく島々でもあります。

戦国時代は塩飽水軍として名を馳せ、倭寇で活躍したという

言い伝えもあります。屋島の戦い、足利尊氏の戦いなど等。

織田、豊臣、徳川に仕え江戸時代には御用船形として重用され

西回り航路を一手に担う働きもしたそうです。幕末の米国に渡った

咸臨丸の水夫は50名中35人が塩飽水夫。人名による自治も

行われたのですが、大阪の廻船問屋に航行権を奪われたり、

島民同士の諍いなどで衰退して行き、それでも船大工の技術を

生かした家大工、宮大工と瀬戸内沿岸の方々で塩飽大工として

活躍もしたそうです。境のない水の上を自由に行き来した海の男

たちの歴史を見てこようと思っています。

広島の男たちもやはり自由に勇敢に世界に飛び出して行く人々でした。

広島県の人たちはあらゆるところに移り住んでいる。ハワイ、ブラジル、

アメリカ、ペルー、ベネズエラ。塩飽水夫と同じように船大工の技術を

持ち進取の精神を発揮して新天地に向かう自信を持っている。

だからこそ、海軍の要所がここ広島や呉に集結したのだと思います。

東京に出てきて広島の友達が出来ました。広島の友人たちの集まりにも

混ぜてもらうようになりました。広島の人たちは、結束力は強い。常に

仲間に対する気遣いを優先します。私なんかは仲間に入れてもらった方

だから、気兼ねなく大バカな冗談も言ったり言われたり、屈託が無かった

のですが、一方、仲間以外の者に対するバリアは強いものがありました。

その当時は、なぜ広島やくざがあがーに激しいのか、喜怒哀楽の落差が

大きいのか理解が出来ませんでしたが、今ではなんとなく理解できます。

あんなに激しい地獄を見て、周りから差別されりゃー致し方ないでしょう。

今年は塩飽と広島と祝島に行く予定です。

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