年納め 御岳

2011 年 12 月 31 日 土曜日

武蔵野御岳神社に今年最後の参詣。こちらは一番奥にある

「大口真神社」 オオカミを祀っているところ。

「オオカミの護符」小倉美惠子著。

最近私の興味の中心は、山岳信仰、修験道。山住という名前が

何なのかいろいろと考えていました。

この御岳神社が大山の阿夫利神社と並ぶ関東有数の神社だと

知るのはこの本のおかげ。

川崎初山の友人がこれ読めと貸してくれました。

友人の息子、曜の字が1月2日、箱根を走ります。

イニュニックと合わせて祈願してきました。

大変な一年でしたが無事年を越せそうなのは、ひとえに

皆様のおかげです。ありがとうございました。

新しい年がまた皆様とともに歩める年であることを心より

願いながら健やかな新年を迎えられることをお祈りしております。

津波映像

2011 年 12 月 28 日 水曜日

今日の新聞に、震災の津波の映像を放映する際には、それなりの配慮を

するよう在京テレビ局に要請したとの記事がありました。

日曜日にあった報道特集のことかなと考えました。私自身あまり長く見れな

かったのですが、少し見ただけであの日の戦きが甦って来て、狼狽えてしま

いました。昨日の通達は子供に対する配慮なのですが、私の心もまだまだ

子供並みだと云う事なのでしょう。翌日、月曜日の朝、車の中で聞いた

武田鉄矢氏のラジオで、武田さんは「私が死なせたようなものだ。私がもっと

しっかり危険を訴えていれば、あれだけの人が死ぬことは無かった。」と云う

ような主旨のことを述べられておりました。多分前日の放映を見ての発言だと

想像できます。たった数時間であれだけの人が亡くなってしまって、残された

者たちに責任が無い訳ないではないかと。少し過激で見方によっては傲慢とも

とられる意見ですが、それが人と人とが繋がり紡ぎあえる態度だと私も思います。

13人の刺客

2011 年 12 月 27 日 火曜日

300人対13人。この13人と云うのは割合から云うと4.3%にあたります。

江戸時代、武士という人たちは、全人口の2%から3%ぐらいでした。

幕末になり、社会全体がキナ臭くなり始めてからは、各藩とも武士の

登用を増やし始めて、武士の数を5.4%ぐらいまで増やしました。

坂本龍馬の家はその昔商人だったのを、金の力で武士にしてもらったという

家です。去年の「龍馬伝」では龍馬が3・4回云うておりました。

「上士も下士もない、世の中にせにゃー、いかんぜよ。」

これは、上級武士も下級武士もない世の中にしなくてはいけないという

意味ですが、ほとんどの人は微かな違和感を持ったのではないでしょうか。

事実なのか意図的なのかよく分からないセリフです。坂本龍馬が身分制を

無くして万国に開かれた国作りのための礎になった人だと誰もが考えたで

しょうから。明治維新では開国に踏み出し士農工商の身分制度をやめて新しい

政府を作ったのは、維新の志士たちのおかげだと思われておりますが、それは

少し違うと思います。

長い刃物を持って敵と戦える人は、2・3%の武士だけです。

当時の大英帝国にしても、アメリカにしても徴兵制を布いていて軍人の数は、

圧倒的に多かった。外国に脅されて不利な条約を結ばされて、中国のように

植民地にされるのではないかと怯えた武士階級は、自分たちから身分制度

やめてしまいました。しかし統治の仕方を変えたにすぎません。

上手くシステムを変え国を強くしながら支配の形を目に見えなくしていきました。

この映画の中で、人を切ったことがあるのは平山一人だけだという設定のよう

ですが、だとしたら、あまりにも殺陣や戦い方に無理があります。

当時の武士と云うのはもう少し賢い人たちだったように思います。

いつも刀を抜いていたらとてもじゃないが命が持たない。

2%と云うのは2人対98人です。または1人対49人です。これはいくらなん

でも力で抑えきれるものではないでしょう。乱闘などの経験がある人だったら

分かると思いますが、生存本能をかけた戦いの場合、火事場の馬鹿力的な

筋力を使ってしまうため、せいぜい20秒か30秒ぐらいしか保たないのです。

「切って切って切りまくれ」というのは、少々無理がある。

武士道とは死ぬことと見つけたりと云うのは、葉隠れの中の言葉です。

私は、これは少し違うと思います。人を殺す道具をいつも身に帯びれば

それはもう死ぬよりほかないのです。武器とはそういうもので、持てば

持つだけ弱くなる。

TPP

2011 年 12 月 21 日 水曜日

池袋東口、無印の前アディダズの隣にいきなり出現。

アメリカの銀行、シティバンク。早いですね。参加表明からまだ、

そんなに経っていないし、はっきり決まってもいないと思うのですが、

もう既定事実として、全速力で動き始めているみたいです。

その明るく派手な外観を見ると、日本の銀行の地味さとそっけなさが

際立つ。日本の大手銀行は、ほとんど1階を無人の機械にしてしまっています。

もっとも、ライバルを郵便局に想定しているのだったら、その派手さがあだに

なるかも知れません。うかうかとはしていられない。

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