西粟倉の元湯温泉

2017 年 1 月 1 日

西粟倉村 元湯温泉  親戚総勢12人で年越しです。

西粟倉は地方再生モデル事業地区になっているようで、いろんな方がこの地に

係わっています。ここから北にある湯の郷の季譜の里のパンフレットはシーズンごとに

印刷しています。

謹賀新年

2017 年 1 月 1 日

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。

奥播磨の安志稲荷。

チキン野郎の空威張り。

簡易ぼっち温室。孤食の時代に合った栽培方法。

帰省 途中 豊田市に

2016 年 12 月 30 日

8月15日の事でした。昼さがり、一人、家の居間でうつらうつら寝ていました。

そばに置いてあった携帯が鳴ったような気がして、手に取るとなんとなく覚えの

ある番号だったのです。知った番号と云うわけでは無く、時々履歴に残っている

番号です。去年位から時々現れる番号。その日は、何故かかけ直していました。

すると昔、父が世話になっていたセイさんが出たのです。10年ぶりでした。

父の葬式以来です。「お父さんが夢に出て、タカシ探していたよ。」と云うのです。

何か起きているなと思いました。父の声が聴きたいと思っただけかも知れません。

その次の日には、大分のおじさんからも電話がかかってきました。3年ぶりなので

びっくり、「誰か死んだ?」と思わず聞いてしまいましたが、大した用事でもなく

近況を伝えあっただけなので、なんとなく話をしたかっただけかもしれません。

多分、私の声は父にそっくりなんだと思います。

セイさんは、内膜性色素変性症で目が見えなくなり始めていると云います。

旦那さんはタンさんと云います。中国の調理師国家資格、特1級を持っている

中華料理のコックさんです。特1級は、中国で何百人しかいません。元々、東京で

中国大使館の料理長をしていました。それが25年ぐらい前、兵庫の神戸飯店に

引き抜かれて相生の店にやってきました。

タンさんの病院での通訳で付き合いが始まりました。盆正月帰るたびに料理を作りに

来てくれて私たちともお付き合いが始まりました。セイさんとタンさんは、父に世話になった

と云ってくれますが、本当に世話になったのは父の方です。このお二人が居たから

さほど寂しくない父の晩年が有ったのだと思っています。

タンさん、私と同じで赤鼻です。「タンさん、随分酒飲むんだねぇ」というと、

「ビール、ビールだけね。」と笑います。

愛知県豊田市陣中町1-26-1

豊田駅と梅坪駅の中間ぐらい。

特別に作ってくれた料理。美味しい。町の中華屋さんのレベルでは無いです。

ハルビンは中国は黒竜江省の町。辛い料理が美味しいみたいです。

夕方、西明石で降りて大久保駅。姪の大学同期の教師仲間と合流。

オッチャンも旦那とすずと一緒に沖縄から帰省。

あれから14年たってみんな元気です。

今年もありがとうございました。

2016 年 12 月 28 日

イニュニックは12月30日より1月3日まで

お正月休みを頂きます。

1月4日より新年の業務を開始します。

本年もご愛顧賜りましてありがとうございました。

新年も宜しくお願いします。

尾仲さん、ヴィンテージプリント

2016 年 12 月 27 日

先日の中松商店の展示会「タテイチクロワク」尾仲さんの90年代

終りのモノクロ写真。当時の写真クロフチが付いていたものの

ヴィンテージプリントです。今日届きました。写真データを作っていた時は、

私はビニール越しでしか見ていなかったのですが、ギラギラに光っている。

紙はラフグロスなので、そこそこ光るだろうと思っていたのですが、意外と

光ってくれなくて最後に独断でえいやっとクリアニス引いたのです。

杖を突いたおじいさんと立小便禁止。

私はどうも寂しい写真が好きなようです。

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