「対馬の海に沈む」窪田新之助
2025 年 1 月 24 日 金曜日
25年ぐらい前、飯山の友人の所に遊びに行った時に道の駅に立ち寄り
ました。そこにJAの職員がテーブル並べて農産物を売っていました。
皮付き落花生が1キロ、500円で売っていたので思わず「安い!」
と袋を手に取り裏の出品者を見ました。そこには中国産と書いていま
した。そこに立っている職員は、嬉しそうに見返してきました。その
時初めてこいつらは農家の味方では無いのだなと認識したのです。
それから少しして義父が亡くなりました。兵庫県で農林事務所の所長
をしていてすでに退職して随分経っていましたが、農協とも縁は続い
ていました。遺品を整理していたら地震保険の契約書が3つ出て来ま
した。年寄りに対して随分アコギな事をするんだな、と思いましたが
これも地域の縁だと納めました。
対馬は、「日本残酷物語」にも出てくる産業も何もない処です。唯一
広島の漁師が対馬まで漁に来てイカを干して持って帰ったという記録
があるくらいで平らな処が何処にもない、砂浜さえない処。この土地
のJAの話です。農地が1.7%しかない島、人口が3万人ちょっとの島。
ここのある職員がJAの保険で全国のトップに何年も続けて表彰され続
けた記録。珍しく一気に読みました。当人の自殺から始まって、続く
なぞの解明。しかし最後に現れてきたのは、何とも遣る瀬無い日本社
会の縮図。何とも残酷です。義父の家屋と田んぼと畑と山林が無住の
まま残っていて、コロナ禍前は、年取ったらここで百姓をやろうかな
なんて考えていたのです。ある時、除草剤の危険度をそこの隣の人に
聞いたのです。「そしたら何も問題ないよ」と云う答えです。「農薬
ではなくてラウンドアップですよ」と云うと「農協の人が問題ないか
ら撒け、と云うんじゃから」と云う答えでした。その時に死ぬまで印
刷業を続ける覚悟が出来たのです。農業の闇や兵庫県の闇は、沢山知
っているのだけど、かみさんの家系が公務員一家だからあまり書くと
怒られるのです。