人びとの社会戦争

2025 年 12 月 23 日 火曜日


11月の結婚記念日に長野の温泉に行ってまいりました。熱い風呂が好き

なので、諏訪温泉と野沢温泉。名うての乱暴な祭りがあります。そういう

ところは、湯も熱い。諏訪の旦過の湯は、熱いほうは47度あります。

ぬるいほうが44度。高校生のグループがそれに入ろうと頑張っていまし

た。諏訪では47度に入らなくては一人前と認められないのですね。

野沢温泉の大湯はやはり47度と44度。爺さんが浸かっていたので、東

京の爺さんも浸かってやった。5秒ぐらいしか持たなかった。道祖神祭り

は棒で叩きあう殆ど喧嘩なのですが、村の仲間同士でなぜこんな事をする

のか不思議です。道祖神祭りなのでその年の秋には沢山の子供が生まれる

のかな?と思ったりします。さて「人々の社会戦争」をやっと終えました。

タイトルが違和感がありますが、市井の人々のそれぞれの生存、自己実現を

かけた戦いと云えば戦争と云う事もできます。西洋からの市民意識の流入が

人びとに様々な変革をもたらします。自由と平等を求める解放の時代。それ

を快く思わない、草の根保守の人達、(江戸時代からの没落組)時代を動か

すのは、生活苦だったり、社会体制に対する不満を託つ人々、昔の境遇を忘

れられない人々。それらの人々の願望や衝動が社会を形作っている。そして

それらの意識を増幅させてメディアで拡散する出版の人達。市井の人々の記

録や日記、投書から時代の空気を読み解いていきます。しかし言葉を発する

人々は、どちらかと云えば草の根保守の人達に多いと思います。真面目なん

だもの。日本社会の構造的な基本形は草の根保守です。それは、各地村々の

祭りやしきたり等を見ているとなんとなく想像つく。1年に何回かの台風。

何年に何回かの地震。そして時々現れる海の向こうからの外敵。力を合わせ

なくては、乗り越えられない難敵です。式年遷宮まで行って各自に意識付け

を行っている。解放、締め付けという庶民の戦いが本当の戦争に突き進んで

行く過程を庶民の目で書かれていますが、庶民の意識を形作っていったの

は、やはりメディアだと思います。この部分の追及が弱いなと思いました。

戦前煽りに煽って戦争に突き進んでいった各新聞、出版社が、そのままお咎

めも無くまたぞろ、新たな支配者の代弁者として君臨しているところを指摘

しないのは、著者が新聞記者出身であるせいなのかなと思います。

去年だったか、食堂で注文を待っていたら隣に座った職人風の4人のうちの

親方風の人が「最近のニュースって、俺たちを脅してばかりいるよな?」と

若い衆に呟いていました。若い衆は、黙って下を向いていました。それぞれ

の世代の処し方が面白かった。個人の解放と欲望全開の時代には、締め付け

の役割を果たす係は出てくる。個人の放逸と全体の締め付けはセットです。

しかし、それ以上の誘導締め付けがあるのもなんとなく感じます。彼らは、

私らの内面をすべて把握しています。巷間きな臭い心配は様々なところで

耳にします。戦争に向かうのは常に生活が苦しくなる状況です。ブリック

スに牽引された第3世界の台頭とAIの登場。歴史の必然をひた進んでいる。

ドイツで徴兵制度が復活しようとしている。

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