二〇世紀の思想・文学・芸術

2024 年 8 月 15 日 木曜日

約ひと月かけて読了。歴史や文化、発明などが有って系統立てて理解

することが出来ました。松浦さんは、恐ろしいほどの博識ですね。

最後の章は21世紀の22年がしっかり書かれていて非常に興味深い

洞察があった。土曜日の新聞には「百年の孤独」の文庫版が飛ぶよう

に売れているという話があり、やはりWEBと云う牢獄に気付き始めた

人々はいるんだなと改めて思いました。「百番目のサル」と云う現象

を思い起こしました。別に百繫がりの洒落じゃないんですけどね。

それで思いついたのが自費出版の王道と云えば「自分史」なのです。

所謂、何処で生まれた、何処を卒業した、何の仕事をした、という

自分史ではなくて、私と云う存在が世界を又は世間をどう見たかと

云う「私が見た世界・私が愛した家族」と云う自分史が出てきたら

とても面白いと思うのです。日記の次はこれですね。それでその繫

がりでは無いけど、何となく手に取ったのが平凡社の「日本残酷物語」

ぱらぱらと眼を通してはいたんですけど、ちゃんと読み通していなかっ

た。これが本当に気が滅入る本で悲惨悲惨悲惨悲惨。19世紀以前は

どれだけ貧しかったのだろうというもの。8月の気が滅入る月に手に取

るにはぴったりの本です。最近の本はWEBやウキペディアで調べに調べて

書くから異常に小説が長いと云われているそうです。いらんことをダラ

ダラ書いてしまうのですね。

またまた、石について

2024 年 8 月 11 日 日曜日

何故か石が私の周りに集まってきている様で私も含めて石について

考えている。石は人類初のいやいや、全ての生き物が使う道具なん

です。それも入れ替わり立ち代わり種を超えて代々、何億年にも渡

って使われてきた原初の道具です。誰が使ったかという記録もない。

有用だけど無名で唯、在る。そこに転がっている。出番を待っている。

「ローリングストーン」は、ロックの精神と云われてきましたが、

今初めて理解出来ました。道具としての石だったんですね。既成の

体制に投げつける礫だ!野球と云うスポーツが根源的に持っている

野蛮さと云うのは、ここにある。

漂泊について本を作ると云うお客さんと石の話になった。仏教の起

源は、狩猟社会から農耕社会へ移行する中でヒエラルキーと貧富が

社会構造として出来てきて腐敗と堕落に異を唱える形で仏教が世界

に広がっていった。しかし聖書派も黙って居なくて農耕社会を補強

する形でキリスト教やユダヤ教が世界を支配していく。何も持たな

い派とドンドン貯め込む派では、端から勝負になる筈がない。

若い人々が今、石に注目する意味はどこに在るのでしょうか?

石の記憶

2024 年 8 月 7 日 水曜日

「路傍の石」と云う本は読んだ事も無いのに、タイトルばかりが気に

入っていて、大人になってもう読めるだろうという年になっても何故か

読まないで済ませている。その辺に置かれている石も良いし、転がって

いる石も良い。小さい時から石がとても好き。

何処かに行くと必ず小さな石は拾ってきます。北岳の石、富士山の石、

バリ島の石、小浜島の石、台湾の石。広島の石は拾うけど、兼六園の石は

拾わなかった。テーブルの上の石は、那珂川の石。那珂川にカヌーに行っ

た時に拾った石です。イニュニックのWEBサイトのイニュ日記の最初の記事

だったのでずっと会社に置いています。石と云うのは、我々生物が出現する

遥か昔から存在していて、あらゆる生物だったり自然現象が利用したり関

わったり偶然なり必然なり、地球の歴史の重要ピースなのです。都会の

公園に転がっている手ごろな漬物石が何人の男を殺してきたか、歴史を変

えてきたか。あらゆる生物の道具になり武器にもなり、じっとそれらの営

為を見てきたはずなのに素知らぬ顔をしてただ転がっている。石は凄い。

「ソウイウモノ二ワタシハナリタイ」なんて結ぶと恐ろしい人のように思

われてしまいますね。転がる石でもいいのです。


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