ダルデンヌ兄弟
2023 年 3 月 31 日 金曜日ネオネオ編集室発行のドキュメンタリー叢書3号は「ダルデンヌ兄弟
社会をまなざす映像作家」です。
本日3月31日の公開映画「トリとロキタ」に合わせて突貫工事で仕上
げました。ベルギー出身の兄弟で監督をされているお二人です。長く
ドキュメントタッチの作風で数々の賞を受賞されています。カンヌの
パルムドールを2回受賞。
ネオネオ編集室発行のドキュメンタリー叢書3号は「ダルデンヌ兄弟
社会をまなざす映像作家」です。
本日3月31日の公開映画「トリとロキタ」に合わせて突貫工事で仕上
げました。ベルギー出身の兄弟で監督をされているお二人です。長く
ドキュメントタッチの作風で数々の賞を受賞されています。カンヌの
パルムドールを2回受賞。
昨日の朝、摘まんだ本が百閒の恋日記。最初のほう何十ページか読んで
やめてしまった本です。後ろの方に娘さんの回顧録が載っていました。
昭和の初めに雑司ヶ谷に住んでいたと書いてあります。盲学校の前と在
ったので調べたら筑波大学付属視覚特別支援学校の事のようですね。
今は、不忍通りの早戸坂と護国寺インターがそのあたりにドンとあって
面影も何もない感じですね。盲学校に出入りされていた宮城さんに琴を
習ったと云う事だから殆どすぐ前ではないかと思いますが学校も少し動
いた可能性もあります。南の漱石山房までは日本女子大の丘を越えて2.5
キロぐらいです。四面四角の病的なコウモン性格と酒食耽溺の放蕩生活、
と云うと言い過ぎか?子供の眼から見ても繊細で弱い人ではあるのだが
百閒の文学的成功に尽くす家族がいなければ到底なしえなかった成果です。
「冥途」一冊に10年掛かったと云います。お金がなくても大阪まで汽車
に乗りたいと思えば行ってしまう人で岡山の実家がすぐ先にあっても、何
もしないでまた汽車に乗って只、東京まで帰ってくる。しかし、弁護する
訳では、ありませんが、多分車窓からじっと沿線の生活を観察しているの
ですね。百閒の自然描写力は恐ろしいものがあります。もうほんと目の前
で映像を見ているような詳細さです。鈴木清純のツィゴイネルワイゼンの
サラサーテの盤の蓄音機は夏目漱石の息子の純一さんのモノとか、本編の
恋日記より伊藤美野さんのこの文章のほうが遥かに面白かった。奥さんの
清子さんは5高時代の友人の娘、焦がれて焦がれてやっとの思いで結婚し
て5人の子供を作って貧乏時代、清子さんの実家の援助を受けながら名を
揚げるが大人数の所帯が文学的環境にあらずとあっさり、妾のこい子の所
に行ってしまうと言うのが凄まじいばかりのわがままぶり。
百閒先生、あんたは怪物君や。
今は、青山真治さんの「宝ヶ池の沈まぬ亀Ⅱ」を読書中なのですが
これはなかなかの日記です。映画と音楽の日記にご自身の闘病記が
入って来る、ちょうどコロナ禍の3年間の生活の縛りもある。面白
く無い訳がないと云えばどえらく不謹慎ではありますが、言葉の重
さが違います。深刻でありひょうきんであり。いっぺんに読まない。
本棚の未読の本をつまんで興奮を沈めています。先先週土曜日の朝
につまんだのが「明恵 夢を生きる」河合隼雄だったのです。早く
読まなくちゃと考えながら、年表見たら親鸞と同じ年の生まれですね。
ある意味真逆の生き方をした仏教徒です。それで朝新聞買って会社に
行って書評欄を読み始めたら「あかあかや明恵」を横尾さんが書評し
ている訳です。これこそが明恵的法力の顕現。時々、こんな偶然が起
こります。明恵と云うのが凄い。それで終わらないのです。先週土曜
日に鎌倉からおいで下さった方の詩集の相談を受けていて、昔出版し
た本を読んでいたら何となく明恵が浮かんできたのです。それで、先
週在った事をお話したら、やはり「明恵 夢を生きる」を読んで凄く
影響されたとお話しされました。具象と思念が強く結びつきながら世
界が廻っていると云うのは古くから言われてきている事ですが、目の
当たりにすると矢張り驚きです。
竹尾シュールーム 青山見本帖でペーパー個展が行われています。
伊藤佑也さんの「ART MOUNTAIN PHOTO MOUNTAIN」竹尾さんの紙
を使って山を作って、写真を撮りました。紙の表情が山を彩っています。
山の写真は朝の日の出から時間ごとに表情を変える変化を紙で表現しな
がら 夜の写真に光を変えていきます。自然と紙と光、森の材木から切
り出され、抄造された紙の慕景が自由に表現されています。
パチカ 熱デボスで変色します。
MLファイバー プラスチックのような光沢
OKサンドカラー 砂を混ぜたような紙です。
無常であることを自ら実践し続けた人、
予知として未来を提示し続けた人。
ボウイのファンだと自認していたけど何も知らなかった。
ジギースターダストに間に合わなかった。ロウから聴き始めた。
ボウイと同じ時代を生きた事の幸せが胸いっぱいに溢れて、殆ど
2時間、目からあふれ続けていた。