親愛なるレニー

2023 年 2 月 8 日 水曜日


レナード・バーンスタインと二人の日本人の物語。バーンスタインは

ベートーベンの交響曲を持っている。中学生の時、親がカラヤンのベ

ートーベンをしょっちゅうかけていてその旋律や抑揚は、身体に沁み

込むほど入ってしまっているのだけれど、カラヤンは私にとっては、

普通と云うか基準点見たいもので、もっと違うベートーベンを聴かせ

てくれるのがバーンスタインです。カラヤンとバーンスタインが、当時

強烈なライバルだったと云うのは面白いエピソードでした。

私は、音楽や絵画や写真などは、その作品だけしか見ない。解説や

能書も読まない。もちろん音楽家はその音がすべてで背景はどうでも

良いのですね。それでもバーンスタインが「ウエストサイドストーリ

ー」のサウンドトラックを作曲したと云うのは驚きました。その情報

はあまりにも大きく、聴き方が変わってしまったと云うのも事実です。

この本を読んでいる途中で「マーラー交響曲」買ったのですが、随所

にウエストサイドが入ってくる。この本は、アメリカ議会図書館の舞

台芸術部に残された「バーンスタイン・コレクションの目録」に見い

だされた二人の日本人の手紙から始まります。膨大な量の書簡が残さ

れていた。戦後の日本も絡められて物語は進められていく。愛の人だ

った。博愛の人だった。全身全霊で生きた人だった。日本という国を

常に意識していた人だった。本当に感動の嵐でした。涙と云うのは、

このような昂ぶりの為にあると思わせる人だった。

百貨店

2023 年 2 月 7 日 火曜日

池袋西武百貨店の1,2,3,4Fにヨドバシカメラが入るという話が

あるそうです。4・5年前、東武百貨店の上のほうに「ニトリ」が入って

少しざわついた事が在ったけど、今は東急ハンズの跡地に入って落ち着

いている。豊島区長が「文化の街池袋が死んでしまう」と云ったそうで

すがそれほどの時代があったのかと云いたい。手塚オサムシと赤塚不二

夫の時代と堤さんが元気な時と自由学園とか、大正の文人がいたという

という根拠を言っているのかもしれないが、40年池袋周辺をうろうろ

してきた人間としましては、左程文化を感じた気はしない。まだ荻窪や

阿佐ヶ谷、高円寺のほうが面白い店が多かった。面白かったけど僕は居

心地の良さはあまり感じなかった。雑多で必死で商売している池袋のほ

うが性に合っていた。だから自分がこんな処と貶してはいるのだけれど、

目白の人たちに言われると「おいちょっと待てよ」と云いたくなる。

まぁ、目白の方々は、そんなことは言わない程上等ですから。

百貨店は、定期的に夫婦二人でよく行きました。買わないのだけどいろ

いろな高級品は見て回った。触れるものはなるべく触ってどの様に作って

いるか調べていた。かみさんは、服飾関係だったので勉強のため、私は

ヨーロッパの技術に興味があった。良い物を見るとやはり審美眼は鍛え

られる。金がなくて見るだけと云うのが良いですね。金が出来て眼が利

かなくなると詰らない物ばかり買うようになる。安いものをネットばか

りで買うと眼は利かなくなりますね。百貨店にも意味はあるのですね。

あっ、そうか、百貨店が文化なのですね。

エゴン・シーレ展

2023 年 2 月 6 日 月曜日


エゴンシーレは20代の前半に衝撃を受けて割と夢中になっていた画家

です。ナルシシズムとエロチシズムとアイデンティティー。その渦中

にいるとこの人の何がそれほどまでに引き付けるのか、解らないもの。

いい年をしてと云いますか、今更と云いますか?当時は絵ばかりを眺

めていて本質を理解しないで今日まで来てしまったので上野まで歩き

ました。大雑把に考えると人間の身体や精神が機械に乗っ取られる

局面でエゴンシーレ的なものがもてはやされている。私の20代前半は

テクノが流行り、コンピュータが世界を変えてしまう予感が全世界を

覆いつくしていた。そして今は、そこにAIがある。1870年のパリ万博は

機械産業が大きく労働そのものを変容させようとする展示会でした。

第一次産業革命の渦中に日本の浮世絵文化がヨーロッパを席巻する。

機械化の波に精神を病み始めていたヨーロッパの心に浮世絵という

より「春画」が突き刺さったような気がするのです。極端にデフォ

ルメされた性器。春画に形而上的要素を付け加えたらエゴンシーレの

絵になる気がします。「悲しみの女」のワーリの純粋性。「横たわ

る女」のエーディトの多情性。クリムトも含めてみんなスペイン風

邪で同じ時期に死んでしまった。やはり裸は、風邪をひきやすい。

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