百閒 雑司ヶ谷

2023 年 3 月 29 日 水曜日

昨日の朝、摘まんだ本が百閒の恋日記。最初のほう何十ページか読んで

やめてしまった本です。後ろの方に娘さんの回顧録が載っていました。

昭和の初めに雑司ヶ谷に住んでいたと書いてあります。盲学校の前と在

ったので調べたら筑波大学付属視覚特別支援学校の事のようですね。

今は、不忍通りの早戸坂と護国寺インターがそのあたりにドンとあって

面影も何もない感じですね。盲学校に出入りされていた宮城さんに琴を

習ったと云う事だから殆どすぐ前ではないかと思いますが学校も少し動

いた可能性もあります。南の漱石山房までは日本女子大の丘を越えて2.5

キロぐらいです。四面四角の病的なコウモン性格と酒食耽溺の放蕩生活、

と云うと言い過ぎか?子供の眼から見ても繊細で弱い人ではあるのだが

百閒の文学的成功に尽くす家族がいなければ到底なしえなかった成果です。

「冥途」一冊に10年掛かったと云います。お金がなくても大阪まで汽車

に乗りたいと思えば行ってしまう人で岡山の実家がすぐ先にあっても、何

もしないでまた汽車に乗って只、東京まで帰ってくる。しかし、弁護する

訳では、ありませんが、多分車窓からじっと沿線の生活を観察しているの

ですね。百閒の自然描写力は恐ろしいものがあります。もうほんと目の前

で映像を見ているような詳細さです。鈴木清純のツィゴイネルワイゼンの

サラサーテの盤の蓄音機は夏目漱石の息子の純一さんのモノとか、本編の

恋日記より伊藤美野さんのこの文章のほうが遥かに面白かった。奥さんの

清子さんは5高時代の友人の娘、焦がれて焦がれてやっとの思いで結婚し

て5人の子供を作って貧乏時代、清子さんの実家の援助を受けながら名を

揚げるが大人数の所帯が文学的環境にあらずとあっさり、妾のこい子の所

に行ってしまうと言うのが凄まじいばかりのわがままぶり。

百閒先生、あんたは怪物君や。

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