PLAN 75

2022 年 6 月 18 日 土曜日

今年1年、マンション管理委員会の理事を仰せつかっていて色々な協議を

しています。ここ2週間ほど協議しているのがマンション低層塀上部に貼

るトゲトゲシートについて。マンション隣にコンビニが在って深夜若者が

コンビニで買ったカップ麺や酒をそこに座って食べたり騒いだりしている

ので、それを防ごうと云うモノです。既に貼ってある部分もあり追加で貼

る事についての是非です。理事全員が賛成で進んでいる処に私一人、反対

を表明して困惑させ続けました。是非と云われれば「厭だ」と云うのが私

の素直な意見、役所が良く設置する「排除アート」を連想させるからです。

PLAN75でもベンチに寝れない様に器具を取り付けるシーンが出て来

ます。太陽の下、ベンチに横になると気持ちいいのにね。こう云うのやる

から国民から嫌われる。75歳になったら安楽死を選択できると云うディ

ストピアを描いた映画です。排除アートの発想ですね。損得、快不快、要

不要を基準に考えたらこの様な発想も出て来るでしょうが、我々のこの世

界は未だその様な基準では出来ていないと思います。この世界に自分の意

志で自力で生まれ出て来たものはいません。何処であれそこで幾多の介助

があり、大人になる為に公や地域の手助けの上で一人前になっているので

す。選ばれて生れ落ちて育てられた者の使命は、天寿を全うする事。これ

義務だと思うのです。そして余力が在れば他の者の手助けをしてあげる。

この世界はそれを基準にして今まで廻って来たし、今現在その基準で動い

ています。クリスチャンのフィリピンの若い女性に自殺幇助の手伝いをさ

せる処に意味はあるし、他の宗教でもここは何処でも云っているところ、

生まれたことに感謝、そして他を助ける。人生の意味や目的を自分中心に

考えてしまったら袋小路に入りやすい。世界の宗教の基本は、自分を捨て

る処に在ります。自分を捨てれば悩むこともありません。どこかの教えに

帰依したらいいという事ではありません。自分の命を自分一人のものと考

えるから効率が出てくる。フィリピンの牧師が「私自身のために祈る」と

ギターを弾いて歌っていたけど現代風への教義の改編でしょうか?1%が

世界のお金の半分を持っているのでしょう?配分を考えたらどうにでもな

るところです。お金が無くても自分を生かす、他を生かす。死ぬところま

で命を燃やし続ける、これは選ばれた者の義務だと思います。倍賞さんが

最後明るい方へ駈け出した。弱い心は誘蛾灯の様に75のあかりに誘われ

るけど、世界には明るくて暖かい処はあるし、駈け出した心が弱さを振り

落している。天から降り注ぐ光は、天そのものの意志であります。

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