筑波山(女体山男体山)
2022 年 5 月 30 日 月曜日先週の土曜日に筑波山へ行ってきました。初めての山です。前日の雨で
登山道は、せせらぎの様に水が流れ、木の根っこや木道はとても滑りや
すくなっていました。筑波山神社を出発して女体山に上る白雲橋コース
は、2時間弱のコースで意外と一歩一歩の高低差もあり870メートル
といえども、衰えた体には十分に上りごたえのある山でした。マスクを
外した顔で、気持ちよく挨拶を交わしながら登っていく山行は、長い鬱
屈が晴れるように爽やかでクライミングハイに似たような高揚感もあり
ました。ここは、ロープウェイがあり、ケーブルカーもあり、学生もス
ポーツ気分の人たちもいて、登山のマナーが行き渡っている所では無い
様ですね。この近辺の子供たちには1月3日に筑波山に登るイヴェント
があるようで男体山の上下を40分という猛者も居てそれを3往復する
者たちもいるようです。縄文からの伝統は生きていて歌垣の代わりのア
ピールなんでしょうか?ただ我々も知らず知らずのうちに筑波の伝統に
侵されていたのを知ったのはその日の夜のことになります。2キロ位と
踏んでいたのに意外と到着しない女体山山頂には2時間ぐらいかかって
到着。関東平野を全貌出来る爽快感は、中々のもの。正月に上がるのは、
この山が堪能できる一番の時期でしょう。そこから御幸ヶ原、男体山に向
かいます。袴をはいて刀を持ったガマの油売りのおじさんが広場の外れ
で佇んでいましたが、立ち止まる客も居なくて、我々二人の為にやって
貰うのは忍びなく、それを遠く眺めた時の3人の哀愁感は客観的にも想
像でき、いえいえそれこそ広場の皆様に見てもらうべき一景だったかも
と悔やんでも後の祭り。男体山の周辺はレーダー関係の無粋なものが散
見し、一気に高揚感が冷えかかったところで、撤収と相成ったのであり
ます。そこから筑波山神社までは70分のコース。下りはところどころ
階段状に整備され歩きやすくはなっていました。急登を上がってきた娘
二人は、息を切らせて疲れているのか「どうぞ」と立ち止まっても、只
ゼイゼイ云うばかり、申し訳ないと木の丸太を1段、2段、3段と踏み
降りたところで見事に滑って背中から落ちたのです。反射神経の良さは
若いころと変わっておらず、華麗に右手をついたら、パキッと乾いた音
がしたのです。「やっちまったァ」と右手首を抑えた横を立ち止まって
いた美女二人の登山靴が軽やかに駆け上がっていく。後ろに控えていた
かみさんが笑いを堪えながら「大丈夫?」と駆け下りてくるのに少し
ムカつきながらもこれも自業自得のスケベ根性。冷静さを装いながら
冷たく「折れたかも」と言ってやりました。頭がボーとしてきて腹に
力が入らず、悪寒がする。これは何回か経験した奴だと目の前が暗く
なる。足ではなくて手首なので、何とか時間をかければ下山できるだ
ろうと思っていたら、今度は足がつり始めるのです。腎臓がフル稼働
しているようで慌てて塩と水を補給、その場所がたまたま、唯一の水
場だったのは不幸中の幸い。後で思うとこれほどの僥倖はない場所で
ありました。足がつるたびに水を補給してホウホウのていで2時間30
分、駐車場に着いたのであります。歩きながら次に考えたのがどうや
って東京まで帰るか?運転代行?友人を呼ぶ?会社の誰かに連絡する?
マニュアル車なので片手運転は難しいけど使えないのが右手なので左
手一本何とかできない事もない。代行で10万以上払うんだったら、
クラクションの雨嵐を浴びようとも耐えられない代償でもなし、その
頃には痛みも治まり、いつもの調子を取り戻す私なのでありました。
目白まで帰ってきてかみさんがいつも行く外科病院(山行や輪行で
いつも怪我をするのはかみさん)の門をくぐって受けた診断が骨折
全治一か月。字が書けないのとキーボードを打つと少し痛い。
登り優先の意味が初めて理解できたということですね。怪我は下り
のほうが大きいと云う事です。苦しさの話ではなかった。筑波山には
ハッテン場としての空気も色濃く残っている。いい年をしてとは申し
ますまい、久方ぶりの老若男女の爽やかな笑顔だったのです。