存在しない女たち
2021 年 2 月 26 日 金曜日先週読み終わっているのでした。何を如何云おうかと悩みながらうつうつと
考えていたのでした。文化や制度と云うモノと不可分だなと思います。その
文化・制度を形造っているのは、男であり女でもあると云う処の前提は、先
日、池袋駅前でアジっていた右翼の街宣車と同じ出発点になってしまう。そ
れぞれに役割があると云ってました。この前の筑豊の「弁当を持ってこない
子ども」と云う写真の残酷さは、その給食の時間に同席させると云う制度、
これが所謂九州で名高い「男尊女卑」です。学校制度の中に女は我慢と云
う教育方針が植え込まれている。公共の制度の中でも普通にまかり通って
いる男女の不平等は、家庭の中ではより顕著です。無報酬の労働時間を経
済に回す事を考えるとGDPが上がると云うのはある意味2重の搾取です
ね。me tooからこちら差別は減っている。社会主義社会では公共的には男
女差別は在りませんが、家庭内の労働は女性の方が多いです。テレビのヒ
ーローは家で子供のおしめを変えたりしない。鬼滅の刃の中ではどちらが
料理作っているのでしょうか?作法とかしつけとか役割それらをひっくる
めた文化と云うモノがある。香港では普通の中流家庭でフィリピンのメイ
ドを雇っている。台湾やタイは食事を外で取る割合が高い(屋台は安い)
しかしそう云う事では無いですね。あらゆる公共機関の人員を男女同数
にする処まで行ったとしても何らかの差別は残る様な気がします。結局
の所、男と女は憎み合っている?何だかひどい結論が出て来てしまった。