便利とプライド

2018 年 1 月 29 日 月曜日

盲導犬を育成する仕事があります。週末その仕事に携わる娘が

遊びに来ていました。友人の娘です。盲導犬は、近年需要が減って

いるサービスとなっているようです。昔は目が見えないという障害だけ

だったのが、近年増えているのが重複障害。複数の生涯を併せ持って

生まれて来てしまう人たちがいて、複数の生涯があると犬と云う移動

手段だけでは、難しくなっているそうです。障害者の統計やパーセント

等あまり表ざたにならない。それはやはり食品添加物や環境汚染等に

多分に係わっているので、公式に発表しずらいのでしょうか?どうして

障害者が生まれるのかという事をちゃんと勉強していないまま、この

複雑なテーマを書き進めて大丈夫かと云う、身内の懸念を十分に承知

しながら敢えて便利さとプライドと云うモノについて書いてみたいと

思います。彼女に訊いてみました。障害者の介助の世界にどれぐらい

AIやロボットや自動運転などが進んでいるのか?実際、自動運転の

車イスにパソコン付けてシリで音声入力しながらナビで運んでもらう。

階段も上がれる車イスだったらどこでも行けるけど、ロボットが上手く

動かなかったら大事故になってしまいます。だけど世間のAI信仰の

過熱ぶりを見ていたらそんな懸念は簡単にクリア出来るハードルかも

と思わせてしまう。実際は健常者が使用して5年間無事故を達成して

からぐらいになるのでしょう。完成したら彼女の仕事は無くなってしまい

ますがとても便利になると思います。しかし彼ら、彼女らの目が見えない

という事のプライドはどうでしょうか?難しい言い方ですが、何かの能力が

欠けてる時にその能力を補う力が発達します。白い杖一本でどこにでも

行くという事は、その胆力、聴覚、記憶力、嗅覚などを総動員して成し

遂げている偉業なのです。そしてその大いなるプライドが障害者をただ

卑屈にならざる存在にさせているのだと思うのです。車いすロボットに

ちょこんと座って目的地まで簡単に移動して本来の目的に割く時間や

能力を十分に開花させるという事の方がとても重要ではあると思います。

しかし、しかしそれでは目が見えないという事を克服できない。克服なんか

しなくて良いのよ。ただ受け入れればと云う意見もある。体全部使って移動

したり食べたり、遊んだりが僕らの生き方でして、そこが一番美味しい所。

そこの部分を取って終ったら目が見えないという事の喜びが無くなってしまう

ような気がします。私たちのプライドは、自分自身の力で自分を生かしている

という其の一点にあります。過酷な状況で生きている人ほど自信のあるいい

顔をしている。

通信費だけが対前年比で10%の伸び率だそうです。服は32%減。

住は18%減。食が4%減だそうです。

 

 

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