東松島食べる通信 生きくらげ

2017 年 8 月 25 日 金曜日

僕は小学校時代は、ずっと孤立していて唯一、一緒に遊んでくれていた

のが智恵遅れの真吾ちゃんでした。妹も知恵遅れの幸ちゃんが友達

だった。我が家にどのような方針が有ったのか知らないが、家に連れて

くると家族皆で歓待していた。父の葬式の時には、幸ちゃんわざわざ来て

くれていた。大人になるまで理由は判らなかったのだが、ずっと無視されて

蹴られたり、叩かれたりしていた。真吾ちゃんも端の方で一人ぽつんといる

子だったので自然と二人遊ぶようになった。僕はずっと不満を溜めこんで

いて、イライラしていた。そんな僕に、真吾ちゃんはいつも優しかった。

何も言わないでいつもそばでニコニコ笑っていた。小学校高学年になって

少し、疎遠になったけど、学校休むと先生に様子を見て来いと放課後、

パン持って訪ねたりしていた。

今回は障害者支援施設ぎんの星のメンバーが作る「生きくらげ」です。

生産性に優れるという事と立派な人間という事は全く別の話です。

彼らはほんとに優しんですよ。無条件にすべてを受け入れてくれるん

ですよ。仏さまが作った「生きくらげ」かも知れません。

今朝の朝日の「折々のことば」ダウン症のアイちゃんがお母さんに

自分はダウン症なのかと訊きます。お母さんが返した言葉。

「知らなかった?お父さんは花粉症だし、お母さんは蓄のう症だし、

アイちゃんはダウン症。みんな大変なんだよ。」

これ読んだ時、最初気楽に言うよなと思ったんです。でも気楽にいう

事がたいせつ。一番気楽に思いたいのがお母さんなんだから。

お母さんはもう突き抜けた感じがしますね。

あまりカミングアウトしたくないのですが、いつも人の事を解った

ような口で軽く云っている者として、そのいじめられてた理由。

事業に失敗してからずっと鬱々していた父は相生に越してきました。

屋台の一杯飲み屋の関係から私たち家族は、朝鮮人に思われていた

ようです。山口の朝鮮の人の紹介で兵庫の相生でその屋台を受け継

いだのですが、その場所の先代は相生の朝鮮の人だったようです。

6歳の姉がたった一晩で肺炎で死んでしまい、下の私たちも死んでし

まうかもしれないと思ったのかもしれません。いじめられていた当時は結構

しんどかった。住んでいたのは、普通の日本人ばかりの地域だったし、

父は喧嘩に負けたら帰って来るなと云うし、身体は小さし、腕力は無いし。

真吾ちゃんが救いだったのですよ。真吾ちゃん見て人を許すことを学んだ

のか、実際に人が許せるようになるのはずっと後でした。

「イキクラゲ」  フワフワ、ゆらゆら、真吾ちゃん、クラゲみたいだった。

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