光のノスタルジア 真珠のボタン

2015 年 10 月 29 日 木曜日

ドキュメンタリー映画。チリのパトリシオ・グスマン監督。

岩波ホールで2本続けて観ました。

「光のノスタルジア」

アタカマ砂漠は標高の高い砂漠で空気が乾燥しているので、

天文観測の拠点となっているところ。また、ピノチェト独裁政権に

粛清された人たちの遺体が埋まっているところ。遺体の骨を探している

遺族と遠い何億光年かなたの過去から届く光を探し続けている天文学者。

始めこの二つを並行して語り始めた時、時間軸の違うものを同列で語る

視点に大きな違和感を覚えました。「悠久の大きな時間から見たら、あなたの

ちっぽけな苦しみなど一瞬のことだよ。ものの見方を変えたら楽になることが

出来るよ。」と云っているのかと思いました。傷ついた者を慰めるとき良く使う

論理です。でも静かに見ていればそんな単純なものでは無い事が判ってきます。

何億光年前の一つの光はその時点での一瞬であり、遺族の今の時間と何ら

変わりは無いのです。苦しい、不毛な日々であるがゆえに遺族たちの時間は

より強い光を解き放っています。その二つの光は砂漠の砂の上で見事な

ハーモニーを奏でているようです。

「真珠のボタン」

民俗学の本でパタゴニアに住む先住民の存在は知っておりました。

緯度の高い南半球で素っ裸で漁をしながら生活していました。

クジラの油を体に塗りつけてその上から模様を書いています。

この人たちも土地を追われたり、病原菌などでほとんど絶滅して

しまいました。ピノチェト独裁政権の弾圧で亡くなった人たちも

含め、文明社会が行う愚行、虐待を水が、星が、砂漠が風が

記憶しています。それらは全て含まれて地球の上にあります。

そして、その光は何億光年かかけてまた、違う天体の上に届くのです。

南米に日本人がやってきたのは、一般に明治になってからと知らされて

いますが、実はそうではありません。日本に初めてポルトガル人がやって

来た時代まで遡ります。ポルトガル人やスペイン人は鉄砲や西洋の道具を

日本に売るために港を経由しながらやってきましたが、帰るときに沖縄、

奄美、鹿児島の人たちを連れて帰りました。奴隷として売るために。

特にポルトガルが残した足跡のほとんどの所の国や港に日本人奴隷は

いました。1582年のイエズス会員に伴われて欧州を訪れた天正遺歐

少年使節団の4人は世界各地で多くの日本人奴隷が手足に鎖をつけられ

小家畜の様な境遇に置かれているのを目の当たりにして驚いています。

世界中のあらゆる地域に安い金額で売りさばかれ、賤業に就くのを見て

心底憐れんでいます。また、同胞を簡単に売りさばく日本の為政者に対しても

激しい怒りを表出しています。少年使節団は全て日本人として見たかもしれま

せんが、中国人や韓国人もいたのではないでしょうか?そう考えると華僑と云う

存在も商売のために海を渡っていったのではなく、まず初めは奴隷として売られて

いった歴史があるのかもしれません。私の中にクリスチアーノ・ロナウドより

メッシが好きと云うのはどことなく、メッシの中に日本人を見るからです。

1600年頃に徳川家康に平定されるまでの50年間、多くの日本人が奴隷として

売られていくのは、全て鉄砲が欲しかったからなのです。交換に売るものは

自分たちの同胞だったのです。ラテンアメリカに思いをはせる。沖縄に思いを

はせる。そのような時間の400年の流れの中に今があります。アルゼンチンの

フランシスコ・ハポンの記録や日系社会の会報の中に記録が残ります。

判っているけど書かれない安土桃山時代の真相です。

日本の「光のノスタルジア」現在進行形。

「さよなら、人類」

2015 年 10 月 28 日 水曜日

スエ―デン映画。ロイ・アンダーソン監督。

原題「A pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existense」

「存在に反映して枝に鳩が座っていた」と云う意味。

意識された鳩と云う役割という意味でしょうか?

39編のオムニバス形式の短編シーンが続きます。

面白グッズを売り歩くサムとヨナタンの二人が大きな縦軸を

構成します。スタジオセットに固定カメラでワンカット、ワンシーン。

書き割りの様な現実感に乏しいシーンに単一の視点。

俳優はみんなくたびれていて、すえた臭いを発しています。

顔をかすかに白く塗っているのは、仮面を表しているのかもしれません。

中学時代、スエ―デンはフリーセックスの国だという情報にヤタラメッタラ

興奮したものでした。碧眼金髪、白人女性。黄色日本人の両親を

呪ったものです。ゆりかごから墓場までの福祉国家。税金は半分以上

取られるけどみんな平和で平等な社会と思っていました。

ノーベル賞のおかげで平和と福祉のリーダー的イメージがあります。

人殺しの爆弾売って儲けた金で作った賞なんですけどね。

でもいろいろと調べるとそのようなイメージと少し違う世界が垣間

見えます。プロテスタント教会に立憲君主制。スエ―デン国王が鎮座され、

国家権力が強いようです。医師と警察が市民の頭部に送信機をインプラント

手術する法案を通そうとしたけど否決された。けど全然納得していないようです。

第一次大戦も第二次大戦も参加はしていないけど、ドイツよりの立場にいた

ようです。スエ―デン鋼は、良質の鋼を造ります。鉄の硬さでは「スナップオン」

など工具類で有名です。せっせせっせとドイツの戦車の鋼を輸出していました。

フィンランド、デンマーク、ノルウェーなどは反ナチス、ユダヤ人保護、レジス

タンスの味方をしていたけど、スエ―デンはナチス相手に商売です。

日本の江戸時代。幸せの国のブータン。福祉国家のスエ―デン。

みんなフリーセックスの国です。明治になってキリスト教の価値観が押し付け

られて盆踊り禁止令が出た時、日本の各地で警察官が怒り狂った若者に撲殺

されています。ブータンは今は、セックスでは満足できなくて麻薬に手を出して

いるそうで、国全体が壊れ始めているようです。

「さよなら、人類」はスエ―デンのことを考察した映画だと思います。

自由が少ない閉塞感。みんなと同じ価値観。乱調の許されない人生。

滅びかけているのはスエ―デンで、平和の象徴の鳩に引導を渡されようと

している所が冒頭のシーンです。自分たち自身が作り出した鳩に。

しかしながら、理想の国家像と云われているスエ―デンに破たんが見える

という事は早晩、恐竜の隣に人類の剥製が並ぶ事になるのかもしれません。

春画展

2015 年 10 月 27 日 火曜日

目白台 永青文庫

明治の初めにイギリスに占領されたときに獲られた浮世絵春画の

里帰り。他にも全国の名品が一堂に会します。11月1日までが

前期の展示。11月3日から後期の展示が12月23日まで。

永青文庫 目白台の和敬塾隣にある4階建ての小さな美術館。

前は芭蕉の蕉雨園。木立に囲まれた古い洋館です。

着物を着ていくと入場料1500円が800円になります。

土日は朝から満員電車のようにぎゅうぎゅうです。

ぎゅうぎゅうの間合いとは、喧嘩かセックスの距離です。

我々が行っているときも初老の男性と中年の女性がどなり合いの

喧嘩していました。「並んでいるんだ、割り込むな」

「美術はそれぞれ気に入ったものを気ままに見るもんです!」

完全に興奮してしまっています。だってあの間合いで見ているのが

そのものズバリの「猥画」ですから。若い綺麗な娘さんも沢山います。

綺麗に見えること自体ですでに私もその毒気に当てられているのでしょうが、

若い娘さんと頬近づけながらあの絵を見るのはそれは大層楽しい時間です。

歌麿が素晴らしかった。

図録 4000円 コデックス製本 糸かがり

去年からフランスの出版社の企画で立ち上がった写真集が和綴じ本

だったのですが、今回のこの春画展に併せてなのか、急に動き始めました。

納期も決まって束見本、色校正等、超特急で動き始めたのですが、何と何と

当てにしていた和綴じ製本屋さんが、やはり急に動き出した、北斎の浮世絵の

和綴じ本の制作で4か月先まで一杯だという話で慌てふためいております。

出来ることはこちらでやるという事で、何とか間に合いそうです。

春画、浮世絵、江戸文化。色々なものが繋がりながら動き出します。

こどじ 藤田進写真展

2015 年 10 月 26 日 月曜日

新宿ゴールデン街 こどじ 「銀の眼 藤田進写真展」

10月16日~10月31日

去年の秋から1年ががりで取り組んでいた写真集が完成しました。

久々に力の入った写真集です。モノクロ写真の色っぽさがにじみ出ております。

表紙を包んだヴェルベットPP加工がいつまでも撫でまわしてちょうだいと

訴えかけてきます。この後パリフォトへ持って行って、帰ってきたらギャラリーで

個展です。

新宿ゴールデン街 こどじ 写真展

2015 年 10 月 9 日 金曜日

街道のメンバー、岡部文さんの写真展「天晴 あっぱれ」開催中。

おじいちゃん、髭生やして、おしゃれして、服は女装です。

胸が大きく膨らんでいたので触ると

「君ぃ、そのようなことをしていいと思っているかね?失敬だろぅ!」

「へっ、へっ、へっ」と私。

横笛、フリージャズです。下手です。

「天晴新聞」主催

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