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アラヤシキの住人たち

2015 年 6 月 16 日 火曜日

「アラヤシキの住人達」 中野ポレポレ座

「みんなの学校」 渋谷アップリンク

2週続けて同じようなタイプの映画を観てきました。

かたや大阪南住吉の公立小学校。アラヤシキは長野小谷村の

自労自活の共同学舎。共通するのは今の社会のサイクルに

適応しづらい人、精神的にストレスを感じてしまう人たちを受け

入れながら、共に学び共に支え合おうと云う精神で運営されて

いることです。

「みんなの学校」は先生風の人たちが多かった。みんな静かに見て、

終わると黙って下向いて出て行った。小学校の教師をしている姪は

去年観たそうで、あそこまでやったら大変、授業が進まへん、

ていうてました。やはり効率を第一に考えている。最初のうちは、

自分の小学校時代の事を思い出しながら、結構感動しながら、

山口先生の事を思い出しながら、ぽろぽろ泣きながら見ていたけど、

途中から、一般の子どもたちはどうなんだろうなと思い始めた。

強力な校長先生や教師たちの強制に普通の子どもたちは、素直に

心から従っているのかな?問題がある子と強制的に関係を切り結ぶ

というのは無理です。ちゃんとした関係にはならない。そこにお互いを

慈しむという気持ちが無いと本当の関係では無いと思います。

問題が起きた時、さっと教師の周りに集まって問題点を聞く。その時の

速さがよく訓練された、少年兵の様だった。これが教育という事なので

しょうか?自発を促すというという感じではなかった。うちの家庭教育が

軍隊的であり、禅寺的な修練を基本と考える家だったので、強制の感じが

有ると小さなことでも反発心を持ってしまいます。

アラヤシキの住人は気持ちの良い人たちがいっぱいいて楽しそうな

家でした。私はこのような生活がこれから起きる日本の未来での普通の

生活様式になるのだろうな考えています。地方の山村で第一次産業に

従事しながらの自給自足で集団生活でお互いを支え合う。その時親族と

云う血が必要なのか、同じ戒律で生きる宗教がまとめるのか、宗教でも

出入り自由で労働力だけがその対価だったら別に問題ないかもしれま

せんが厳しすぎる戒律は、門を狭くしてしまいます。支え合う、助け合う

という理念だけで続けられるほど人間は崇高にできていない。

首長の宮嶋さんは、創設者の息子さんです。辛抱強い忍耐力を

お持ちで、良きリーダーとしての資質を十分にお持ちのようでした。

「あなたという人は地球始まって以来、絶対いなかったはずです。」

自信を持って生きてこれなかった人たちにエールを送る姿もまばゆいけど

ゆるいけどちゃんとした関係を持とうとする姿勢こそが、日本が切り捨ててきた

大事なものを思い起こさせます。今ここでこの「アラヤシキ」をノスタルジックな

郷愁と考えるのではなく、外部に開きながら、新しい血が常に入れ替わっていく

世界とつながりながら地域の特性を守っていく。

新しい集団生活の実践場として協働互助の精神が実現できれば素敵だなと

考えました。

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