戦争が廊下の奥に立っていた

2015 年 1 月 21 日 水曜日

先日のフランスのテロとそれに続くデモ。

そして、今回のイスラム国の日本に対する脅迫。

早いなと思いました。いつの間にかなんてものじゃない。

よりによってのこのこ渦中の渦中、ど真ん中の反イスラム諸国に

金ばらまきに行ったかと思うといきなり、名指しで脅迫されている。

ポンと主役のスポットライトを当てられている。

70年前の15年戦争は、じわりじわりでいつの間にか

「戦争が廊下の奥に立っていた」のですが、現在は早い早い。

いきなり、巻き込まれようとしている。白黒はっきりせぇーと

突きつけられている。ここぞとばかりにアメリカ支援を表明してくる。

自衛隊を強くするのが目的だとしてもいきなりイスラム国とやるのは

きついでしょう?狙ってやっているにしても、この展開は早すぎない

でしょうか?まだ全然、廊下どころか玄関先にも立ってないから。

ところでこの「戦争が廊下の奥に立っていた」という俳句。

昭和14年、渡辺白泉という人が詠んだものです。有名な俳句で

いろんなところで目にします。擬人化した戦争というものがいつの間にか

我々庶民の生活の中に忍び込んでくるというのが、ごく一般的な捉え方

だと思いますが、私はそれだけでは無いと思っています。

この廊下の奥というのが二つの意味を持っていると思っています。

外から浸食された内部であり、身体化された内面の一部であるという事。

廊下の奥に最初から立っていたのではという見方もできます。

普段は見もしないけど気づいた時にはしっかりその形になって

立っていた。

戦争をやるという暴力性は誰でも持ってます。条件が整うと誰でも

やると思っています。フランスの何百万人デモは抑制が取れていて

しっかり理性が働いていたけど、群衆の持つ恐ろしさも感じていました。

戦争は一人でやるもんじゃない。みんなでやるもんです。みんなの中に

いる戦争が起き上がってきます。みんなの中にいる戦争を焚き付ける

人たちがいます。

爺さんは海軍の軍人でした。北九州の若松は九州で一番気性が荒い

ところです。戦友がいつもたくさん集まる家でした。

父も大学やめて志願して、陸軍士官学校を首席で卒業して

1万人の師団の挺身切り込み隊長に抜擢されて、戦って戦って生き

抜いた人です。小さい時から戦争というものを教えられてきました。

人を殺しても殺されてもずっと生涯引きずりながら生きて行くことになります。

まともな人生は歩けない。まともな人間になることが出ない。

やってしまった後悔にさいなまれ続ける道を歩くしかない。

そんな道でも全然、オーケーでしたら、どうぞどうぞ。先ず、あなたから。

1月21日、父の命日に。

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