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ハルカフェ 10号

2014 年 6 月 14 日 土曜日

今回は、ワールドカップ特集。も一つのテーマが自家製。

前回から私も参加させて頂いております。

編集長にしっとりした良い文章だとほめて頂いたので、

こちらに上げます。

ペンネーム「雑司が谷 赤鼻」でお願いします。

以下原稿です。

タイトル「サッカーという仕事」

いよいよワールドカップブラジル大会が始まります。開幕まで6日。

日本対ザンビア戦を見終わってこの文章を書いてます。現時点での

日本を見るならば、悲鳴のような暗雲が立ち込めています。前回から

の4年間で成熟という進化と共に失ったのは、若さという躍動と体の

切れ味なのかも知れません。動きの速いザンビアをファールでしか

止められなかった。身体能力の劣勢を数でカバーする動きはハイエナ

じみていて余り美しくないモノですが、他の方法が無いのでしたら

しょうが無い。来週から始まる、「日本万歳、日本万歳」に少し水

差しときますね。でも唯一の収穫は大久保君の美しいゴールでした。

昔は気持ばかり先走って空回りする事が多い印象でしたが、経験と

テクニックの向上はそれなりに円熟味を増し、今回のブラジル大会

では、大活躍の予感がします。日本のサッカーは高校生レベルだと

世界でもとても高い水準にあります。だけど大人になったら、急降下

し始めます。日本におけるサッカーという仕事は、他国と少し違う

仕事なのではないかと考えます。Jリーガーになると、余り練習し

ない。練習日もノンビリ、ボールの丸さを確認するぐらいのレベル

です。中村君や本田君の居残り練習がニュースになるぐらいですから。

日本において、サッカーというのは曲芸や芸能レベルの物なのでは

無いかと思われます。練習はすればするほど、上手くなるのに。

私たちがヤキモキするほど彼らは、余り身を入れてくれません。でも

彼らには彼らの労働規約や条件闘争があるのでしょう。私たちの

自己満足を満たすために過剰にその温度差を憂いても、それはお門違い

というものでしょう。でも選手個人にとってサッカーという花が咲い

ている時間はとても短いものです。プロになっただけでは、その花は

まだ咲いてないのです。

最近印刷した雑誌が仕事・働き方という特集をしていて、その中で

よしもとばななさんがエッセーを書かれています。お父様が亡くなら

れるちょうどその時、仕事で香港に居られて、早く日本に帰りたいのに

その仕事が終わらないと帰れない。そのうち、お父様が亡くなって

一晩中、日本の方々とメールのやり取りが続いて、朝、葬儀のための

ドレスをある店に買いに行く。するとその店の店員さんが長い時間を

かけてドレス選びを手伝ってくれた。仕事というものに縛られもするけど

仕事というものに救われもします。仕事が人と人をつないで遠い誰かを

小さく揺らす。というようなお話でした。この文章を読んで思い出した

のがある床屋さんでした。父が亡くなる2・3ヶ月前から、私は余裕の

無い時間を暮らしていました。末期癌の父にその病院は出て行ってくれ

と云い、それはそう云われてもしょうがない人でしたが、兎にも角にも

田舎で一人暮らしの父の居場所を探さなければいけませんでした。しかし

そんな時間もあっという間に過ぎ去り、その日の朝、準備や挨拶がひと

段落し、一人の時間を持ちながら喋る事を考えなければと、近所の床屋に

行きました。家族が世話になったところだったかも知れませんが、私に

とっては30年近く、ただ帰省の折に前を通り過ぎるだけの床屋でした。

店に行くと他に客は無く、新聞を読む私より少し若い2代目だけでした。

奥さんに頭を洗って貰い待って居ると、白い仕事着に着替えた主が現れ

ました。鏡越しに踵を揃え両腿に手を当て、小さくお辞儀して、何も言わ

ないで切り始めてくれました。バッサバッサと有無を言わさない形に切り

揃えてくれました。ぼさぼさ頭が森田健作風に刈り揃えられながら私の心は

逆に緩んでいったのを覚えています。

仕事がその人の全てを表すものではありませんが、その事によって何かを

支えたり、揺さぶったり、何かを生んだりします。

「サッカーという仕事」   雑司ヶ谷 赤鼻

いよいよワールドカップブラジル大会が始まります。

開幕まで後6日。日本対ザンビア戦を見終わってこの文章を

書いてます。現時点での日本を見るならば、悲鳴のような暗雲が

立ち込めています。前回からの4年間で成熟という進化と共に

失ったのは、若さという躍動と体の切れ味なのかも知れません。

動きの速いザンビアをファールでしか止められなかった。

身体能力の劣勢を数でカバーする動きはハイエナじみていて

余り美しくないモノですが、他の方法が無いのでしたらしょうが

無い。来週から始まる、「日本万歳、日本万歳」に少し水差しと

きますね。でも唯一の収穫は大久保君の美しいゴールでした。

昔は気持ばかり先走って空回りする事が多い印象でしたが、

経験とテクニックの向上はそれなりに円熟味を増し、今回のブラ

ジル大会では、大活躍の予感がします。日本のサッカーは高校生

レベルだと世界でもとても高い水準にあります。だけど大人になったら、

急降下し始めます。日本におけるサッカーという仕事は、他国と少し

違う仕事なのではないかと考えます。Jリーガーになると、余り練習

しない。練習日もノンビリ、ボールの丸さを確認するぐらいのレベル

です。中村君や本田君の居残り練習がニュースになるぐらいですから。

日本において、サッカーというのは曲芸や芸能レベルの物なのでは

無いかと思われます。練習はすればするほど、上手くなるのに。

私たちがヤキモキするほど彼らは、余り身を入れてくれません。

でも彼らには彼らの労働規約や条件闘争があるのでしょう。

私たちの自己満足を満たすために過剰にその温度差を憂いても、

それはお門違いというものでしょう。でも選手個人にとってサッカーと

いう花が咲いている時間はとても短いものです。しかしプロになった

だけでは、その花はまだ咲いてないのです。

最近印刷した雑誌が仕事・働き方という特集をしていて、その中で

よしもとばななさんがエッセーを書かれています。お父様が亡くなら

れるちょうどその時、仕事で香港に居られて、早く日本に帰りたいのに

その仕事が終わらないと帰れない。そのうち、お父様が亡くなって

一晩中、日本の方々とメールのやり取りが続いて、朝、葬儀のための

ドレスをある店に買いに行く。するとその店の店員さんが長い時間を

かけてドレス選びを手伝ってくれた。仕事というものに縛られもするけど

仕事というものに救われもします。仕事が人と人をつないで遠い誰かを

小さく揺らす。というようなお話でした。この文章を読んで思い出した

のがある床屋さんでした。父が亡くなる2・3ヶ月前から、私は余裕の

無い時間を暮らしていました。末期癌の父にその病院は出て行ってくれ

と云い、それはそう云われてもしょうがない人でしたが、兎にも角にも

田舎で一人暮らしの父の居場所を探さなければいけませんでした。

しかしそんな時間もあっという間に過ぎ去り、その日の朝、準備や挨拶が

ひと段落し、一人の時間を持ちながら喋る事を考えなければと、近所の

床屋に行きました。家族が世話になったところだったかも知れませんが、

私にとっては30年近く、ただ帰省の折に前を通り過ぎるだけの床屋でした。

店に行くと他に客は無く、新聞を読む私より少し若い2代目だけでした。

奥さんに頭を洗って貰い待って居ると、白い仕事着に着替えた主が現れ

ました。鏡越しに踵を揃え両腿に手を当て、小さくお辞儀して、何も言わ

ないで刈り始めてくれました。バッサバッサと有無を言わさない形に切り

揃えてくれました。ぼさぼさ頭が森田健作風に刈り揃えられながら私の

心は逆に緩んでいったのを覚えています。

仕事がその人の全てを表すものではありませんが、その働きによって何かを

支えたり、促したり、何かを生んだりします。

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