電子書籍はなぜ普及しないのか?

2013 年 6 月 8 日 土曜日

電子ブックのソフト屋さんから「今日お邪魔したい」との電話を頂きました。

もうかれこれ4年ぐらい買え買えと責められています。日本のシェアはトップだ

という割には土曜日まで出社して営業を続けているところを見ると成績は芳しく

ないのかもしれません。今日の売り込みは「AR」というものだそうです。

これは違う会社の方からも進められていて、本の表紙の画像をスマート

フォンなどで撮ってアクセスするとサイトかサーバーに貼り付けられた

その本の中身を電子ブックで読むことが出来るというものです。分厚い

カタログなどでは、需要があるでしょうが、弊社の少部数の個人的な

印刷物ではなかなか利点が見いだせない。ただこのような、クロスメ

ディア的なものにも、参入していかないとこれからの事業展開も難しく

なって来るのだろうなという予感はあります。弊社で制作した本をサイトで

紹介したり販売したり、電子ブックにしたりといろいろ考えているのですが、

なかなか決断するところまで行きません。

私は、印刷屋ですし、本は紙で読みたいと考えるものですので、

電子ブックの端末を買う気にはならないのですが、商売として考えたときに

それはどのように開けていくものなのか、ずっと考え続けているのですが、

なかなか展望が見えません。まず私個人で考えたとき、一日中メールを

読んだり書いたり、テキストに接していると仕事を離れてモニターを見たい

と思いませんし、最近はあまり文章も読みたくないのです。昔に比べると

読書量も減っております。電話で毎日喋っていると、別のところでの情報

発信もおっくうになっております。本を読むという行為は、娯楽という部分は、

多少あると思いますが勉強とか、向学心というものに支えられている部分が

大きいと思います。テキストを読みイメージをふくらまして行きながら思索

しています。その結果として、発見なり納得なり教養を貯めていっているの

だと思うのですが、それがなぜモニターなどの端末ではだめなのでしょうか?

紙の本の中には1行1行の時間がちゃんと順番通りに並んでいます。

モニターには身体化された時間が消えているところに、長い習慣に親しんだ

我々は違和感を覚えているのかもしれません。またWEBやネットと同列にあると

いうことが、集中力の妨げになります。玉石混交の世界にどっぷり嵌まっている

からこそ考えるという行為のベースだけはリアルなもので守っていたいという

事だと思います。

喰う、寝る、考える。電子には持っていけないものだと思います。

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