死と滅亡のパンセ

2012 年 5 月 24 日 木曜日

辺見庸さんの「死と滅亡のパンセ」を日食の朝に

読んでいました。示唆に富む論考でありました。

死や滅亡を考えることは、生を考えること。

思念と肉体の乖離の先には滅亡しかありません。

無常であるとか「死ぬる時が来たら死ぬるがよろしい」とか

分かったような諦め顔でしたり申すその態度が招いた出来では

無かったか?でも無常なんて言葉で一切をリセットしてしまうこの

感性は、いかにも日本人独特の感性ではあります。

私たち一人一人が日本人ではなく、私たち一人一人が日本人たち

なのです。滅亡しか、この頸木から逃れるすべは無いのでしょうか?

ある意味辺見さんは被災者です。首までズッポり浸っている人です。

だから、素直にこの人の言葉に頷ける。

上へ