帰省

2010 年 7 月 20 日 火曜日

法事。むずがる小さな幼子の泣き声のほうがお坊さんのお経より心に響くと

云ったら、やっぱり罰当たりなことなんだろうなと思います。

でもその小さな姿だけが救いです。繰り返し繰り返しつながって行く。

私らの耳が馬の耳だと云うは事実なんですから、もう少し赤子の泣き声に

負けない念仏のありよう云うのも考えてもええのではないかと思いました。

土曜日と月曜日は、脳挫傷で入院の義母に付き添う。

義母は、アルツハイマーを患って約10年になります。

アルツハイマーだと分かってから、特養のデイサービスに通うように

なるのが早かった。まだ全然、生活に問題がないのに週一回、自発的に

通いだしました。行ってもやって貰うことはあまりなく、ただもう少し重たい人の

お手伝いをするだけなんです。義父はあまり賛成ではありませんでした。

でも「これはあたしのことなんや、黙っといて。」と云って押し通していました。

私が母の介護で放心しているような時、義母はさりげなく励ましてくれました。

それがあったから義母のところに通っているわけではありません。

たった一人でさりげなく戦い始めたんです。

アルツハイマーは記憶障害の病気ですが、認識はできるのです。

そして脳は、損なわれた部分を補うように違う回路を作りだす様です。

毎日、家の前の農道を一日中歩いていました。それを見て、村の人たちは

いよいよほんまモンの阿呆になりよったと思うたんやと思います。

でも義母は、意に介さなかった。「こんなことになる前は、綾ちゃんどこへいこ、

あそこへ行こてしょっちゅう誘いに来てたのに、今じゃあ、だあれも近づきも

せえへん」 一緒に歩いていてゲートボールの集まりにそう毒づくことも

ありました。私は、義母と一緒に散歩する時、とにかく笑わせます。

腹がよじれるほど笑わせます。見せつけるように笑わせます。そして義母も

まるで全て分かっているかのように笑います。

それでも一昨年、義父が亡くなってからは、急に症状が悪化し始めました。

月の半分ショートステイでお願いしていた施設から今年の春、ちょっと乱暴的な

ところと徘徊があるからと利用を断られることになりました。

それで乱暴を振るわないようになる薬を飲んでおとなしくなるのだったら受け

入れると云うのです。

「薬合わせ」と云う名目で紹介された精神病院に義母をひと月ほど預ける

ことになりました。そしてそこで転んで頭を打って血管が切れたようです。

今回、会った義母はもう昔の姿ではなかった。一瞬焦点が合って笑うことは

ありましたが、長くは続かない。

今年のゴールデンウィークでは、良くなっているところもあるように感じていた

のです。

決して自分一人のために始めた戦いではないのです。

だから私は、まだずっと義母の戦いを見続けていたいのです。

義母がよく送ってくれた辛味大根。義姉に頼んで作って

もらいました。

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