前掛け

2008 年 11 月 6 日 木曜日

別冊太陽で内田百閒を見つけました。

二十歳ぐらいのときに、阿呆列車を立ち読みして、まあ、列車の話なのであまり面白いわけでもなく、皆が言う評判の割にどこが面白いのかちっとも判りませんでしたが、ごく最近、「冥途」を読んでからもう虜になっております。

かれこれもう2か月、まだ第1巻を繰り返し繰り返し読んでおります。

「山東京伝」「冥途」などは、もうすぐ諳んじてしまうぐらいです。

死に対する不安や社会に対する違和感やぎこちなさを夢の様な感じで小説にしているのですが、おろおろしたりハラハラしている自分を面白がっているようにも思います。

百閒先生を他人とは思えないほどです。

でも諳んじるほど読んでいるのは文章練習のためです。とても文章が上手い。

百閒先生の文体をものに出来たら、少しはましな文章が書けるのではと目論んでおります。

別冊太陽の中で前掛けをしている百閒先生の写真がありました。

小説を書くときは、前掛けをして執筆するそうです。これは、師匠の夏目漱石の真似だそうで、漱石も前掛けをして小説を書いていたそうです。

自分の仕事をただ、作文を作る職人と考えていたのか・・・。

ものすごくカッコエーと思っちゃいました。

新入社員の前掛け。見事な丁稚小僧の前掛け姿。

腰に巻かないでお腹に巻いております。

百閒の文章を読んでて思い出したのが、立石にある「うちだ」。

新東京タワーが建つところにある、もつ焼きやです。

1回だけかみさんと行ったのですが、少し百閒的ワールドが漂っていたような気がしました。

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