葬儀の写真

2019 年 5 月 27 日 月曜日

【アブナイ、あぶない、危ない写真」kotobaの秋号。去年買ってパ

ラパラと捲って理解したような気になってほっぽいていたのを昨日

じっくり読み直しました。それで思い出した事。

10日前妹の義母が無くなって告別式に参列したと云うのは書いた

と思いましたが、そこで私は在る事をしました。結婚式のカメラマ

ンよろしく、ずっと葬式のあらゆる場面の写真を撮りました。お坊

さんのお経の間は控えましたが。カメラは姪の夫のC君のです。C君

は、喪服の首に愛機のソニーのカメラをぶら下げてやって来ました。

次期社長でも有り、3年間お婆さんとの関係もしっかり造っていた

ようでしたので、C君が葬式の写真をバシャバシャ撮るのは少しまず

いだろうと慮っての事でした。私も平気で在った訳ではありませんで

したが、家族親族よりは熱は低かった。1月と5月にしっかりお別れ

の挨拶はさせて貰ったと思っていました。C君は異郷の文化の違う処で

仏教の葬式はある意味でとても興味のある行事だったと思います。写

真論なども少し前に話していました。日本においては葬儀で写真を撮

る人はいませんね。タブーですね。ですから、葬儀の写真と云うのは

殆んど無いです。私自身、母の時も父の時も写真を撮るという事さえ

考えもしませんでした。でも今回写していて思ったのですが、みんな

の泣き顔が美しいのでした。出棺の前の遺体の棺桶の中に花を入れて

それぞれ別れの挨拶をする姿、悲しみは一気に燃え上がり、その顔は

くしゃくしゃになっているのにも拘らず、何と云う美しさなんだろう

と思いました。良い葬儀だったのです。孫の姪がおばあちゃんに手紙

を書いてそれを読み始めた時ぐらいから、そこら中でハンカチを手に

する人たちが出始めて、改めて故人の人徳が偲ばれ、昔の思い出が甦

って来たのでしょう?泣き声の激しい処に寄って行ってバシャバシャ

シャッター切る私は、えげつないお調子もんです。実際「あの人は、

何なの?」と云う難詰も私の知らない処で出たと云います。

でも撮りながら、私が悪者になってもこの今は絶対価値のあるものに

なる筈だと確信していました。良い写真は撮れたと思いますが、私は

多分「アブナイ人」と云うレッテルを貼られた様な気がします。

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