シベリア抑留詩人の生と死

2015 年 9 月 9 日 水曜日

吐き出した言葉とそれを受け取った感想との間にはどうにも

渡れない大洋が横たわっている。体験だけではないかと云う

意見に絶望的な落胆を噛み締めながら、それでも吐き出さざる

えない焦燥、そして言葉。一時の評価も気休めにはなるが、

根本的に壊れてしまった自我は回復することは無い。

それでも石原さんには詩があった。圧倒的な賛辞があった。

自殺ではないだろうなと思います。でも生きていても死んでしまっても

どっちでも良いなと云う諦念はあったように思います。

亡くなった月に詩集や作品が一杯出ることが決まっていたのだから

死ぬはずがないという解釈は何も理解していない意見です。

すべて吐き出してしまったらもうそこに残っていなければいけない

理由など何処にもないのです。

「良い人は誰も戻ってこなかった。」夜と霧の中でも云われていた言葉。

南方から帰った人もそのように云います。

望郷と海。ただの海では無い。とてつもなく深い断絶だと思いました。

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